No more:4
絵を描き始めてから約二週間。
私が考えていた以上に、あの人への想いは大きかったようで、描く手は順調に進み、ほぼ、彼と解る容姿の人物画がキャンバスに浮かび上がっていた。
ただ、悲しいかな。作業ができるのは学校の、本当に限られた部活動可能時間のみ。
それというのも、私が人物画を描いていることは両親には内緒だったから。
でも・・これだけそっくりに、素敵に描けていればあるいは、いい絵だって認めてくれるかも。
「素材がいいからなぁ・・」
ジッと自らが描いたその姿を見つめ、あまりの格好良さに、妙に照れてしまう。
絵の中で柔らかく微笑む・・銀髪の王子様。
けれど、この絵には明らかに足りない“イロ”がある。
蒼だ。肝心の瞳の部分が白いまま、イロをのせられないでいる。
パレットにありとあらゆる蒼を絞っては、混ぜ合わせたり、試し塗りをしてみているけれど、どれも違うと本能が告げる。
「うー・・駄目だ・・」
今日もまた、イメージピッタリのイロを見つけられず、タイムリミット。
親友のリコちゃんと二人、肩を並べて帰路につく。
ちなみにリコちゃんは物書きさん。私が絵を描いてる横で、自前のパソコンを開き、小説を書いて帰り時間を合わせてくれている。
「ここへ来て不調ねぇ、セイ」
「うん・・なんかね、違うんだよね・・」
もっともっと、澄んだ綺麗な蒼なのに・・。
「ふむ・・人物画の肝って、ある意味、目だもんね。全体をいかに小綺麗に描こうと、目が活きてないと台無しって感じだし」
うんうん、そうなのよ。リコちゃん。
目力って、現実の世界ではもちろん、絵の中でもすごい威力を持っているの。
「ま、どうせ個人的なものとして描いてるわけだし、セイが納得いくまで時間掛けたら?また偶然に“王子様”に逢える可能性だってないわけじゃないんだし、そのときこそ、正式にモデルお願いしちゃえ!それこそ、気に入るものに仕上がるってもんよ」
「・・はは、そう、だね・・」
励ますと同時に、可能性のない偶然を口にされ、力なく笑うしかない。
・・それはさすがにないと思うよ。リコちゃん・・。
私の運は、いまやなんの効力もなくチョーカーと化している、この転移魔法石を使い切った時点で尽きているのよ。
だからこそ、この目で見た彼の姿を永遠にするため、絵を描いているんだけど・・完成できるのかな・・。
一抹の不安に、胸の内で大きな溜息をついた。
「それじゃ、セイ。また夜に電話するねー。バイバーイ!」
「うん、あとでねー。バイバイ、リコちゃん」
ほどなく家に辿りついた私たちは、いつもと同じように手を振り合って別れる。
今日は金曜日。土日、学校はお休みだから、その間、絵を描く手は止まってしまう。
そんなわけで、明日は気分転換も兼ね、リコちゃんとショッピングに行く予定だったりする。
・・画材屋さんにも寄ってもらおう。手持ちの絵の具じゃ、あの人の“イロ”は出せない・・。
「ただいまー」
「おかえりなさい、聖ちゃん」
パタパタとスリッパの音を響かせ、ママが出迎えてくれる。
その表情が、いつも以上に楽しそう。なにか良いことあったのかな?
「聖ちゃん、聖ちゃん。お着替え済んだら、客間覗いてごらんなさい。目の保養になるから!パパがね、拾って来たの!」
私が訊ねるより先に、興奮した顔でママが言う。心無しか頬が上気して、目がキラキラしていた。パパが生き物を拾って連れ帰るなんて珍しい・・猫かなにかだろうけど、よっぽど見過ごせない状態だったのかな?
「あ、でもね、調子悪くて眠ってるみたいだから、起こさないようにそーっとね?」
「うん、分かった。とりあえず、着替えてくるね」
自室に戻り、カットソーとジーンズというラフな格好に着替え、客間へ向かう。夕食まではだいぶあるし、お風呂って時間でもないから、ママの心をがっちり掴んだらしい、器量良しの拾いものでも拝もうと思ったからだ。
どんな子かな。起きて調子良さそうなら、抱っこしちゃおう。
足取りも軽く、能天気にそんなことを考えて、客間へ足を踏み入れる。
薄暗い部屋の中、ご丁寧にも布団が敷いてあって、その中央がこんもりと膨れている。
うわー・・猫ちゃんにわざわざお布団とか、相当、気に入られてるなぁ。
一気に興味をそそられ、そーっとそっと、音を立てないように気を遣いながら、寝ているであろうその子を覗き見た。
「・・ぇ・・」
目に飛び込んで来たのは・・銀色の毛。でもそれは、猫なんかじゃなくて、人の・・髪の毛。これ、猫じゃない・・人間?。
暗闇に目が慣れてくると、その人がどんな顔なのか、解って来る。
「ぇ・・うそ・・」
絹糸みたいな銀髪、繊細な顔の作りは一目で彼が美形なのだということを伺い知ることができた。そして、堅く閉じられた瞼の向こう側の瞳のイロは──おそらく、蒼。
「なん・・で・・?」
憧れて止まない記憶の中の“王子様”。そして、つい先日、転移魔法によってめぐり逢い、助けて貰ったというのにお礼も言わずに逃亡してしまった、二度と遭うことはないと思っていた“彼”が・・目の前で眠っていた。
どうなってるの・・これ・・。
ただ唖然と、ただ呆然と、目の前の現実に途方に暮れる。
・・・・・夢?私、眠っちゃってるのかも・・。きっとそうだ。こんな都合のいい現実、有り得ない。・・うん、絶対にこれ、夢だ。
とても許容できないリアルに、私の頭は架空のモノとして認識することで、混乱を免れようとする。本能的な危機回避能力というやつなのだろう。
どうせ夢なら・・と、半ば麻痺した頭が大胆な行動に打って出る。
そっと手を伸ばし、銀髪に触れた。
「うわぁ・・サラサラ」
柔らかそうに見えるけど、コシのある彼の髪は、まるで質の良い銀糸みたい。触れてしまえば、もっとと欲が出る。
どうせ夢だし・・。
その大義名分の元、次に私が触れたのは彼の頬。
「・・スベスベだ・・」
象牙の肌は女の子がうらやむぐらいに手触り良く、感心してしまう。
どんな手入れしたら、こんな肌が保てるんだろう・・あ、でも、なんか顔色悪い?
頬に手を添えたまま、そんなことを考えてしまったのは失敗だった。
直に触れた体温が彼を眠りの縁から引き上げたのだろう。閉じていた瞼がピクリと動き、次の瞬間、ゆっくりとそれが開いた。
「・・・」
綺麗な蒼い瞳が、真っ直ぐに私を見つめる。
大きく跳ねる心臓。ドクドクドクと、早鐘のように激しく脈打ち、一気に上がる体温。あまりの息苦しさに目眩すら覚える。
「・・誰?ここは・・」
まだ意識が混濁しているのか、ぼんやりと彼が呟くように訊ねて来た。
その髪に、肌に触れ、まして、その瞳を見、声を聞いてしまってはもぅ、誤摩化しようがない。
こ、こ、これって・・やっぱり現実!!
同じくらい・・いや、それ以上に意識が混乱し始めた私に、まともな対応なんてできるはずもなく・・頬に触れたままの手を引っ込めることもできず、ただ固まった。
「おや、聖。帰ってたんだね、おかえり。あぁ、目が覚めたようだね。カイ君」
聞き慣れた声が掛かり、緊張の糸が切れる。
「聖!?」
慌てた様子のパパを尻目に、私は遠慮なく意識を手放した。
現実逃避にフェードアウト。
「せぃ・・聖・・聖ちゃーん!」
「ん・・」
気がつくと、私はリビングのソファで眠っていた。
「お・・“王子様”がっ・・!」
「王子・・さま?やだわ、聖ちゃん。寝ぼけてるの?」
からかいを含んだママの笑い声。
辺りには今日のお夕飯のいい臭いが漂う。
「・・パパ、もぅ帰って来てる?」
「ええ。今、着替えに行ってるわ。もうすぐ夕飯だから、聖ちゃんお風呂入っちゃいなさい」
「あ、はーい」
いつもと変わらない光景。変わった痕跡は何一つない。
あれ・・やっぱり、さっきのは夢だったのかな・・。
そうだよね。そんな都合良く、彼が私の目の前に現れるなんてことあるわけないよね。なーんだ。
安心した反面、妙な寂しさを感じた。
“王子様”は手の届かない存在。
「にしても・・あの蒼はリアルだったな」
換えの下着とパジャマを片手に、浴室のドアを開け。
「そうそう、こんな感じで──」
目の前には同じ蒼。
「・・こんばんわ」
「・・こ・・んんっ!??」
「ごめんね、お風呂先にいただいちゃって。すぐに着替えるから、待ってね」
水も滴るいい男という言葉通り、バスタオルを腰に巻いてお風呂出たての“王子様”がニッコリと微笑む。
ちょ・・私、実はまだ寝てる?また夢見てるの?
まるで学習能力のない身体は、再びの信じられない光景に、面白いほど見事に固まってしまう。
「・・そう、ジッと見つめられると着替えにくいんだけど・・。そんなにボクの身体に興味があるの?そういえば・・さっきも触ってたよね」
微動だに動かず、凝視する視線に、彼の目が細まる。
刹那、魔法が溶けたみたいに、思考が戻って来た。
ようやく、頭が現実であることを受け入れる。
「ぁ・・ぁ・・きゃーーーーっ!!!!」
片手に持っていた着替えを取り落とし、慌てて後ろを振り返ってドアを開けると、勢い良く閉めた。浴室の外側で、ズルズルとその場にしゃがみこむ。
「どうした?聖」
「聖ちゃん、ごめんなさい。お風呂、今、カイ君が入っ・・」
私の叫び声に慌てた様子で身を乗り出しているパパと、重大なことを今更のほほんと言ってくれるママ・・。
不可解なことはたくさんあったし、言いたい文句もいっぱいあるけど、なにを置いても最優先で訊きたい。
「ど、ど、どういうことっ!???」
「ん?カイ君のこと?」
「ほ、他になにがあるっていうの!どうして・・あの人がうちのお風呂に・・てか、うちに居るの!?」
「そのお話は食事の時にでもしましょう。ほら、そんなとこに座っていたら、カイ君が出て来れないでしょ?聖ちゃんも、お風呂に入って少し落ち着きなさいな」
ママに諭され、背中越しに気配を感じ、渋々、床を這うようにしてその場から退いた。
ドアが開き、ふわりと石けんのいい香りを漂わせ、パパのパジャマを着込んだ彼が姿を現す。着ているものは同じなのに、着る人が違うと何気ないパジャマ姿でさえ、絵になる。
再び、ボケーっとその姿を凝視していると、彼が意味深に笑った。
「落とした着替え、浴室のカゴの中に入れておいたから」
着替え・・。
「・・あぁっ!」
それがどういう意味なのか、なんとなく気づいた私は、入れ替わるみたいに浴室へ転がり込んだ。彼の言葉通り、パジャマと下着が綺麗に折り畳まれ、カゴの中にある。
きっと彼は親切でしてくれたのだろうけど・・は、恥ずかし過ぎる・・。
合わせる顔などないのが本音。それでもお礼は言わないと・・と、羞恥を抑え込み、勇気を振り絞って、頭一個分、ドアを開けた。
まだごく近い距離に立ち、肩にかけたバスタオルで髪を拭いている彼の背中に声を掛ける。
「あ、あの・・」
萎縮してボリュームの上がらない私の声に、彼は気づかない。
「あの・・・・・か、カイさん!」
「?」
名前を呼ぶことで、やっと気づいて貰える。
振り返って首を傾げる彼に、小さく頭を下げた。
「着替え・・あ、ありがとぅ」
「・・いいよ、気にしないで」
にっこり。
文字通り、その笑みは悩殺・“王子様”スマイルだった。
ふわふわと地に足が着かない状態でお風呂に入り、のろのろとパジャマに着替える。
現実、目の前に存在する彼の魅力は絶大。頭の中の記憶も、ちらりと目にしただけのリアルも、全て塗り替えてしまう。
──圧倒的な存在感。
そんな彼が・・なぜ、ここに居るんだろう。
その謎は、もうすぐ解ける・・だろうか?