Better days:2

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 いつもなら十分に時間の余裕を見て、登校するのが日常。
 今日に限っては、その全てが崩れていた。
 わたしと彼──ジンが乗り合わせた電車は、学校の始業にギリギリ間に合うかどうかの時間に付く、遅刻を免れるための最終電車。
 いつもは魔法で瞬間移動登校な彼もまた、くだらないことに魔法は使わないという約束を守り、一般的交通手段に頼る運びとならざるを得ず、現状に至る。
 さすがに並んで一緒には行けないため、わたしとジンは少し離れた位置で、すし詰め状態の車内に居た。
 ぴったりと隙間なく隣り合わせた人と人。
 まったく身動きの取れない中、視線だけで彼の姿を追う。
 満員電車に慣れていないのか、まわりの人が煩わしい限りだと言う不機嫌顔で、イライラとただ、到着するのを待っている感じだった。
 わたしもあまり人ごみは得意ではないけれど、不快なのはお互い様でしょうし、我慢するしかない。
 吊り革に捕まった状態で、手首の腕時計に目をやった。
 8時35分。
 始業が9時。目的地まではあと15分ほどだから・・本当にギリギリだわ。
 溜息をついて、ただただ、電車が少しでも早く付くのを待った。


「?」

 なにかがおかしいと気づいたのは、それから5分ほど経ってから。
 これだけ多くの人でどうしても密着し合ってしまうのは、仕方のないことなのでしょうけど・・背後に立つ人の距離が、やけに近いような気がした。
 背中に生暖かい温度を感じるほど、ぴったりと擦り合わされた身体。

 ・・まさか、ね・・。

 混んでいるからと、嫌な考えを打ち消したのも束の間、不意に伸びた手が、わたしの・・。
 不快感も露に身体を捻ったり、頭を傾けて無礼な同乗者を睨め付けてみるものの、慣れているのか、サラリーマン風の男は何食わぬ顔でわたしの身体を弄った。
 どんどんエスカレートしていくそれに、はっきりと抗議しなくては、と頭では思うけど、唇が凍り付いてしまったかのように、動かない。
 気持ち悪いのに、嫌なのに・・頭が混乱してどうすることもできない自分。
 情けないほど、わたしは無力だ。
 悔しさに目頭が熱くなる。
 ぎゅっと目をつぶって、ただ、電車が目的地につくのを祈り、行為に耐えるしかなかった。
 停車駅が近づく。
 でも、そこはまだ、わたしが降りる駅ではなくて・・貪欲な男の手が、いよいよ、素肌に触れようというところで、腕を掴まれた。

「降りるぞ」

 太陽みたいな金髪と、翡翠色の瞳をした、目立つ容姿の彼。
 ──ジンだった。
 どこか不機嫌な口調で短く告げた彼は、わたしの腕をぐいぐいと引き、人ごみを掻き分けて、車両外へ飛び出る。
 閉まるドアの向こう、わたしに痴漢行為を働いたサラリーマンの姿は──なかった。

「ったく・・朝っぱらからサカってンじゃねーっての。同じ男としてサイテーだ。プールででも頭冷やしてきやがれ」
 けっと吐き捨てたジンの言葉に、わたしはピンとくる。
「プールに・・飛ばしたのか?」
「ああ。途中、窓から小学校のプール見えたから、そこに放り込んでやった。見つかったら、偉い騒ぎになるだろーな。ま、天誅ってヤツだ」

 さも、当然の報いというように、不敵に笑う彼の表情を前に、張りつめたものが切れた。
 ぼろっと目から熱いものが溢れる。

「お・・オイ?委員長・・だ、大丈夫か?」

 心配げに覗き込んでくる、翡翠色の瞳。
 その優しい色を前に、自分の身に起こったことが悔しくて、どうしようもなく気持ちが悪くて、溢れてくるものを止めることは、もぅ、できなかった。
 彼の容姿だけでも目立つのに、ぼろぼろと涙を流す女が一緒となれば、人目を引くのはある意味当たり前で、わたしたちはあっという間に好奇の目にさらされる結果となる。

「げっ・・まぢかよ。と、とにかく、ここじゃアレだ。外へ──」

 再び、ジンはわたしの腕を取ると、足早に改札へと向かい、駅の外へと出た。
 見知らない通りを押し進み、人気の無い狭い路地裏を見つけて、その場に落ち着く。

「ここなら、誰も来ねぇだろー。勘弁してくれ、委員長。アレじゃまるで、オレが泣かしたみてーじゃん」
「・・すまない」

 愚痴る言葉は的を射ていて、言い訳なんてできず、素直に謝る。
 痴漢ごときあしらうことができなかった・・本当に・・失態だわ・・。
 しかも、登校途中でこんな時間ロス。
 もぅ、間に合わない。遅刻確実。

「・・学校、完全に遅刻だな。巻き込んで申し訳なかった・・もぅ、大丈夫だ。先生にはわたしからちゃんと、遅刻の理由を言う。急ごう」
「───・・ン、ちと、待て」

 みっともなく流した涙を拭きながら、来た道を戻ろうとするわたしを制し、ジンが携帯を取り出す。
 どこに電話する気だろう。
 なにか用事を思い出して?それとも、学校に遅刻の断りを・・もし、後者なら、彼にしては珍しく律儀な。
 真意の掴めないまま、展開を見守る。

「ン・・あ、あー、ンン・・」

 電話が繋がるまでの間、喉を押さえて、しきりに咳払いを繰り返す彼。
 慣れないことで緊張してるのかしら・・。
 ほどなく繋がって、喋り出したジンの声音は──。

「おはようございます。2年B組の黒井有栖の母ですが、担任の真山先生はいらっしゃいます?」
「!?」

 わたしの母の声と寸分違わず、そっくりに変わっていた。
 おそらく、魔法で真似てるのだろうけど、一体、なんのために?

「真山先生、いつも娘がお世話になっております。ええ、実は娘の具合が悪いんですの。風邪を引いたらしくて、熱が39度もあって・・今日は大事をとって、休ませて頂きますわ。はい、ありがとうございます。失礼致します」
 
嘘八百な内容に不覚にも唖然としたわたしの目の前で、一方的に話は纏まり、休学願いは受理されてしまう。
 原因たる詐欺師は、携帯のフリップをパタンと閉じると、にやっと笑った。

「なかなか上手いモンだろ?真山のヤツ、すっかり騙されてやんの。おもしれー」
「・・お、面白くない!なにを勝手なことを・・!!わたしがいつ、風邪を引いたと?熱が39度もあると!?」
「ンなの、サボるための嘘に決まってンだろ」
「サボ・・る?冗談じゃない!!わたしには休む理由なんて──」
「あンだろ?」
 
否定の言葉を、否定される。
 それまでとは打って変わって真剣な目に、わたしは気圧される形で息を飲んだ。

「委員長、無理すンじゃねーよ。自分がどんなカオしてっか、鏡見てみ?」
「なっ・・」
 
指摘され、慌てて鞄から手鏡を取り出して、自分の顔を見てみる。
 ・・・・・ひどい表情。
 もともと色白な肌は真っ青と言っても過言ではないほど、血の気が引いていたし、泣いて赤く充血した目は今もって潤みがち。
 こんな顔のまま、学校なんて行ったら・・それこそ、好奇の目を嫌というほど向けられ、ともすれば根も葉もない噂の種になってしまう。
 ジンの機転がなければ起こっていたであろう未来図を想像し、ぞっとする。

「オレは女じゃねーから、気持ち解るなンて気休めは言えねーし、ナニすれば委員長が落ち着くのかも正直、全然解ンねーけど・・こーゆーときは、パーッと好きなように遊んで、嫌なことは忘れちまうに限ると思うぜ?」

 明かに意気消沈のわたしに掛けられた言葉は、決して労るだけの内容ではなかった。
 けれど、取り繕っていない分、彼の優しさがダイレクトに伝わる。
 冷めかけた熱いものが胸に込み上げて、再び、わたしの目から涙が溢れた。

「ちょ・・勝手しちまって悪かったって・・。アレだったら、さっきの魔法で取り消すから、泣くとか、まぢで勘弁してくれ」

 わたしの涙の意味を誤解し、慌てるジン。
 困りきった表情がなんだかおかしくて、気遣いが嬉しくて、緩みかける口元。

「そんな女のコみたいな委員長、慣れてねぇから、扱いに困るンだよ」

 深く意図して言ったわけではないのでしょうけど、言葉の響きに気分を削がれた。
 女の子“みたい”な?
 それって・・。

「・・くだらんことに、魔法は使うなと言った。済んだことはもぅいい」
「んじゃ、ガッコーは休みでいいンだな?」
「ああ。だから、おまえはとっとと行け。わたしは──家に帰る」

 目線を幾分か鋭くさせ、いつもの冷たい口調で言い渡す。
 頭脳明晰、優等生でできた人だと賞賛されても、わたしは所詮、まだまだ精神の未熟な16歳の小娘。
 彼に対して、女らしく接したことなんてない。
 口調はこんなだし、態度も応対も可愛くはない。
 そういう認識を持ってしまったジンを責める筋合いなんて、まして怒ることなんて、理不尽だって・・それでも、やっぱり・・気に入らない。

「それから──わたしは“みたい”ではなく、性別上はれっきとした女だ。おまえの言う、“女のコ”らしくなくとも、な」

 女として見られていなかった事実に──拗ねていた。
 刺々しく言って、睨みつける。
 そんな態度がジンの目にどう映るのか、気にする余裕なんてなかった。
 目を丸くした彼は、わたしの顔をじっと見て──盛大に吹き出す。

「ナニ?もしかして、委員長・・拗ねてンの?」
「っ・・!拗ねてなどいるか!!」

 見透かされたような言葉に、いつもの冷静な口調は影を潜め、語気荒く、即否定する。
 誰が見ても、それは肯定としか思えない反応。
 彼はますます笑いの度を濃くし、何度も頷いた。

「そっか。そーゆーの、気にすンだ?委員長もやっぱ・・女のコなンだなー」

 言い切って、屈託なく笑う。
 バカにしている様子は微塵もなく、ただ、素直に驚いて、素直に感心(感動?)していると言った感じの彼。
 途端に恥ずかしさに襲われ、視線を外した。

「・・うるさい。いいから、学校へ行け」

 突き放すように吐き捨て、額を指で押さえる。
 こんな状況、一刻も早く抜け出したい・・。
 けれど、こういう場面に限って、相手はわたしより一枚上手だった。

「ンー・・ま、オレも今日は風邪引いちゃって、オヤスミってコトで」 
「・・・・・なにを言ってる。五体満足健康体のおまえのどこが、風邪引きだ?みすみす、クラスメイトのサボりを黙認など出来るか」
「まんま、委員長だってそうじゃん。オレに説教できる立場?」
「くっ・・」

 そういう立場にしたのは、どこの誰だと・・。

「つまり、オレたち、同罪の運命共同体ってコト。お互い、今日のサボりは黙認し合うしかねーンじゃね?」

 言うことは的を射てもっともで、さすがのわたしも否定することはおろか、返す言葉がみつからず、黙るしかなかった。

「んじゃ、そーゆーコトで決まりだな」

 沈黙を了承と取った彼は、満足げな笑みを浮かべる。
 完全に言いくるめられてしまった。
 肩を落としたわたしは、今日、何度目か解らない溜息をついた。

「ところで・・委員長、早速、オレのこと呼んだよな?」
「?」
「“おまえ”って」
「あ・・」

 ジンの言う通り、つい数時間前に交わした約束を、わたしはあっさりと破ってしまっていた。
 迂闊としか言い様がない・・。
 彼のペースに乗せられて、完全にいつもの自分を見失い、冷静を欠いている。
 これもすべて、あの痴漢のせい。
 よりにもよって、わたしにあんな真似をするなんて・・趣味を疑うわ。

「さぁて、ナニして貰おっかなー。天下の委員長様が、オレの言うことなんでも聞くなんて、滅多にねぇし?」

 翡翠の瞳が、さも面白げに細まる。
 人の揚げ足取りみたいな、心の隙の失言をここまで喜ばれるというのも、なんだか・・ほんと、子供。
 怒りを通り越し、呆れてしまう。

「・・・・・約束したことだ、聞いてやる。早く決めろ」
「ンーーーーーー・・よし、決めた」
 
決断したらしい彼は、再び、携帯を取り出すと、また電話を繋いだ。
 今度はどこへ・・。

「ジン、わたしはなにをすれば──」
「決めたっつたろ?今掛けてンのぁ、ソレのために必要な人」
「必要な・・人?」

 物事を推量るにはあまりに情報の少ない言葉と、第三者の介入とを告げられ、わたしは怪訝な表情で首を捻るしかない。

「あ、もしもし?オハヨーゴザイマス、黒衛のドラ息子です。学校?ハハ、まぁ、たまには息抜きってことで、見逃してくださいよ。あー・・ソレでですね、唐突でアレなんすけど、先日の使いっぱの借り、今日、返してもらってイイっすか?」
 
借りを返してもらう?
 それとわたしがどう関係あるのか・・。
 というか、誰なの?

「服とか色々、貸して欲しいなーと。ン、オレというより、連れの・・とにかく、そっち行きますから、ヨロシク」

 半ば、強引に話をまとめたジンが、電話を切る。

「交渉成立。おとなしく家帰ンのもつまんねーし、このまま外で遊ぼーぜ」
「・・は?自分がなにを言ってるか、解ってるのか?わたしたちは、今日、学校を休んでいるんだぞ」
「そだな。ま、バレねーように小細工すりゃ、解ンねーモンだ」
「小細工?」
「そ。今、親父絡みで知り合いのスタイリストに、見た目いぢって貰う手筈整えたから」

 スタイリスト・・そういえば、ジンのお父さんはファッション関係の仕事をしているって、メグさんから聞いた憶えがある。
 でも・・待って。
 仮にもわたしたちは学校を休んでいるのよ?
 それを、ふらふらと遊び歩くというのは、気が咎めるし、なにより、そんな風に正規の道を外れた行い──わたし、したことない。

「大丈夫だって。相手は超一流のプロ。ぜってーバレねぇようにしてくれっから」
  
 不安を汲み取ったのか、彼はわたしを励ますかのように、肩をポンポンと何度も叩いて笑った。
 ──そういう問題ではないのだけど。

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