Better days:1

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一夜明けた翌日。
 自分でも思い切ったことをしたものだ。と、目覚めて一番に飛び込んで来た天井を前に、ぼんやり思った。
 ゆっくり身を起こして、周りを見てみる。
 見慣れた家具、小物、カーテン、部屋に漂う柑橘系アロマの香り。
 どれも今までわたしを取り巻いてきた生活環境と同じ、一見してなんら変わりなく、昨日の出来事が嘘のようにも思えた。

 夢だったのかもしれない・・。
 手早く身支度を整えて、リビングに続くドアをそっと開けてみる。
 一変して見慣れない景色が広がっていた。

「現実・・」

 小さく呟き、人気の無いリビングに足を踏み入れて、極力音を立てないように気を使いながら、自分の部屋のドアを閉めた。
 まだ寝ているであろう、彼を起こさないように・・。
 この家の住人はわたし以外にもう一人いる。
 元々の主である彼、黒衛仁のマンションの一室が、今日からわたしの住まう場所。
 こともあろうか、同じ学校に通うクラスメイトの落ちこぼれ種である彼と、学級委員長であるわたし──黒井有栖とが、常識では考えられない事情で二人暮らしすることとなったのは、昨日のこと。
 彼とわたしは・・一般的な人とは違う。
 空想的・仮想世界の有り得ないものと笑われそうな、魔法界と称される異世界の出身で、彼は非現実的能力である魔法が使える魔法使い。
 一応はわたしも同じ能力を有する、魔女と呼ばれるものであるはずだった。
 けれど、今のわたしは魔法が使えない。第三者によって封じられてしまったせいで、一般人に成り下がっている。
 そして、能力を奪ったこの第三者というのが、同居人である黒衛仁。
 とはいえ、子供心に悪戯で掛けたのか、今の彼には自覚も記憶もなく、封じた魔法を解く術を見つけるため、返事を渋る彼の意思を無視し、半ば強引にわたしが乗り込んで居座ることを決めたようなものだった。
 嫌がるのも無理はない。
 一高校生、同じクラスメイトとしてのわたしたちの関係は、はっきり言って、最悪だった。
 わたしは常に彼に対してだけ冷たく接し、なにかといえば目の敵に酷い扱いをしてきたから、彼にとっては煩わしくてうるさいだけの女でしかなかったと思う。
 そんな同級生が唐突に家に来て、不意打ち的に同郷であることを告白。更に憶えのないことを喚き、魔力を取り戻す方法を探すのに協力しろだなんて・・。

「メチャクチャよね」

 洗面台の鏡の前、洗いっぱなしで水滴の滴る自分の顔を見、つくづく思う。
 眼鏡をしていない、わたしの顔──彼は奇麗だと言ってくれた。

「──バカだわ」

 あんな扱いを受けても、わたしを嫌わずにいてくれたなんて。
 それどころか、尊敬してて、好みな・・。
 鏡の中の見慣れた顔が赤く染まる。
 本当は・・わたしだって嫌いじゃない。
 だってわたしたち、子供の頃は──。

「覚えてないのでしょうけど」

 熱はすぐに冷めた。
 あなたは知らない。
 わたしも──あなたに魔法をかけたのよ。
 だから、悪いのはあなただけではなくて・・。
 わたしは卑怯者。
 真実を隠している。
 たくさん、秘密を持っている。

「・・朝ご飯、作ろう」

 わたしはわたしにできることをしよう。
 といっても、家事や料理、勉強ぐらいでしか役立てない。
 言葉や態度を改めるのが一番いいのかもしれないけれど、おそらく、彼の前では決して素直になんてなれないから、それは捨てるしかないわ。
 第一、急に変わるのも不自然だもの。
 とりあえず、台所に立って二人分の朝ご飯の用意を始めた。
 昨晩は夕食ということもあったし、初日だったから頑張って色々と作ったけど・・さすがに、朝まで豪華にというのも気を使い過ぎかしら。
 ここはシンプルに、トースト、ハムエッグ、サラダ、コーヒー、フルーツと、定番的な朝食セットにして、様子を見て・・。
 メニューが決まれば、料理は早かった。
 一通り用意して、テーブルにセッティング。
 細々動いていると、わたしの部屋と対局にある部屋のドアノブがカチャリと小さく音を立てる。
 ゆっくり開いていくドアを目の当たりに、慌てて、ソファーに座り込んだ。

「・・っす。さすがに、はぇーな。委員長」

 開口一番、複雑な表情をした彼がわたしに声を掛ける。
 努めて冷静にすました表情を作り、応えた。

「──せめて『おはよう』と言え。おまえはまともに挨拶も出来んのか?」
「オハヨウゴザイマスっ!」
 
見目にも明かに顔を引きつらせ、言葉を正す彼。
 自分で言うのもなんだけど、可愛くないわね・・。
 表情こそ変えず、内心で溜息をついた。
 と、目の前の朝食を見て、立ち尽くす彼に気づく。昨日と同じ種類の表情に、わたしは彼の戸惑いをすぐに理解した。

「お腹が空いたから、ついでに作った。わたしが食べ終えたと同時に、片付ける」
 「いただきます」と両手を合わせ、自分の目の前のトーストを頬張る。
 面食らった彼が、慌てて向かいに座り、わたしと同じように「いただきます」と両手を合わせて食べ始めた。

 ──素直だわ。

サラダをつつきながら、ちらりと彼の盗み見る。トーストにハムエッグを乗せて、大きく口を開けて・・言葉にしなくても、美味しいと表情が言っていた。
 本当に、子供みたい。
 自分の食事も忘れ、もりもりと食べる姿をしげしげ眺めていると、彼が「ああ、そうそう」と声を上げて、わたしを見た。
 内心、どきっとしながらも、平静を装って視線を受け止める。

「委員長。一つ訊きてーンだが」
「なんだ?くだらんことならごめんだぞ」
「・・いや、料理の材料ってどうしたんだろーってな。うち、マトモなモンなんかなかったろ?オレ、今まで魔法で済ませてたし」

 くだらなくはないけれど、予想外の程度の低い疑問を投げかけられ、わたしは小さく溜息をつく。
 彼の言うように黒衛家の冷蔵庫は、お世辞にも隙間なく潤っているとは言い難い状況で、飲み物しか入っていなかった。
 
「──ああ、本当にろくでもないものしか入ってなかったから、おまえが眠っている間に色々と買い出ししておいた」
「え!?まぢで?」
「魔法が使えないわたしが、他にどんな方法で食材を得るという?普通に店に買いにいくしかなかろう」
「はぁ・・ソウデスネ」

 納得したのか、再び、食事を再開する彼。
 それにしても・・魔法で済ませていたなんて、料理をする者としては、聞き捨てならない状況だわ。作り立て出来立ての料理に勝るものなんてない。
 もっと色々作って、食べさせなければ。
 わたしの料理魂に火がつく。
 けれど、それには一つ障害があった。
 どう足掻いても、女の細腕では限界のあること。不本意だけど、協力を仰ぐしかないわね。

「──言っておくが、買い出しというのはかなりの重労働なんだぞ?肉、魚、野菜はもちろん、調味料を一通り揃えようと思えば、女の二の腕で運べる量は限られてしまう。まして米など買おうものなら、一人では厳しい」
「・・ン・・メンドイよなぁ」
「だから、次に買い出しに行くときはおまえにも付き合って貰う」

 他人事のような曖昧な返事にもめげず、わたしは冷ややかに申し入れた。

「イヤだ」
「・・拒否権があるとでも?」
「くっ」

 拒む言葉をあっさりと一蹴すると、途端に言葉に詰まる彼。
 こればかりは退く訳にいかない。
 本当に・・買い物は重労働。
 実際に昨日、一人で買い出せたのは、数日分の食料でしかなかった。

「じゃ、じゃあ、買い物したらオレが魔法で運んでや──」
「嫌だ」

 彼にとっての打開策を、同じ言葉で拒む。
 確かに、その方法は妥当で、効率的にはいいのかもしれないけれど、わたしは嫌だった。
 それでは、二人で暮らす意味が無い。
 どうせ学校では、周りの目もあるから関係改善の機会なんてないだろうし、わたしにはゆっくりとしていられる時間もなかった。
 だから、少しでも行動を共にして、本当のわたしを──解って欲しい。

「昨日も言ったが、くだらんことに魔法は使うな。ここはわたしたちの世界ではない、普通の人間の世界。身体が不自由なわけではないし、出来ることは横着しないで、身体を使ってこなすべきだ」
 
最もらしく言って、強い視線で彼を見る。
 なにか言いたそうに口を開くけれど、覆すほど説得力を持った言葉が浮かばないのか、彼は悔しげに頭を掻いて、「解ったよ」と答えた。
 少し物悲しくも思えるハンデ・・引け目があるから折れてくれる。
 なにも知らない彼を、わたしは騙している・・。
 でも、痛む良心に消沈する暇なんてないんだわ。

「──それでいい。そのかわり、家事一切はわたしが引き受けよう」
「へ?家事って・・掃除とか、洗濯とか、飯の支度とか・・の家事だよな?」
「他にどんな家事があると?」
「いや・・そこまでしてもらうってのはなんつーか・・ホラ、なぁ?」
「別に見返りを求めたりはしない。メグさんから頼まれている義理もあるし、私の母も言っていただろう?家事全般得意なんだ」

 彼の母親・メグさんはわたしの母の親友で、同じ魔法界出身の魔女。
 そんな縁もあって、わたしは女親同士の交流の席に何度も同席していて、顔はもちろん、親しく言葉も交わしていた。
 今回の一件も実はすべて了承済みで、同居のお願いをした時に、確かに頼まれたのだ。

「あー・・言ってたな、リリス様。魔女王とか言うからどんなエライ人かと思ったら、ただの親バ・・」

 洩らした彼は、自分の素直な感想の迂闊さに気づいたのか、慌てて言葉を切った。
 「しまった」という目をして、ばつが悪そうにわたしの顔色をうかがう。
 そこまで気を遣ってくれなくてもいいのに。
 むしろ・・彼の中でわたしは、そんなにも畏怖すべき存在?
 わたしは別のことにムッとなりながらも、彼の言葉に賛同する。

「──うちの親は娘に尽くしすぎる。おまえの言う通り、共に親バカなのは事実だ」
「・・意・・外」
 
彼がきょとんとした表情で、小さく呟いた。
 なにが意外だというのだろう?
 言葉の真意を探るため、じっと見つめて小首を傾げると、慌てて言葉を付け足す。

「委員長でも親の悪口言うンだな」
「・・わたしをどういう人間だと思っているんだ?」
「クソ真面目なイイコちゃん」
「・・・・・」

 なんとなく、彼の抱くわたしという人間像は想像できていたけれど、単語として並べられるとすごくつまらない女みたいに聞こえる。
 最も・・そういう印象を持たせてしまったのは、わたしが彼だけに冷たく接してきたせいだ。
 自業自得。気分を悪くするのはお門違い。
 嘆息して、小さく肩を落とす。
 思った以上に、やらなければならないことはたくさんあるようだわ。

「とにかく、おまえはわたしに掛けた魔法を解く算段に全力を尽くせ。可能性があるものは、なんでも協力するから試していこう」
「あー・・ン・・」

 曖昧に返事をした彼の視線が所在無さげに漂った。
 面倒だと思っているのだろう。
 だめだわ・・もっと本気で取り組んでもらうにはどうすれば──。

「・・おまえのことだから、なにかメリットが無ければ本気にはなれなそうだな」
「あ?ンなこと、ねぇケド・・」
「意志の問題じゃない、無意識の問題だ。人間、自分に利害のないことに、早々本気になどなれない。そうだな・・方法を試すごとに、おまえの言うことを1つだけ、なんでも聞いてやろう」
「え?それって、委員長がオレに従うってコトか?」
「そうだ。肩を揉めというなら揉むし、ごちそうを作れと言うなら作る。一人でゆっくりしたいのならば、わたしは外で時間を潰す。おまえにとって、悪くないメリットだろう?」
「ンーーー・・」

 これ幸いで、てっきり飛びつくものと思っていたのに、彼は困惑しきった表情で考え込んでしまった。
 わたしが言うことを聞く程度じゃ、物足りなすぎるかしら・・。
 他になにかないものかと、考えを巡らせていると、彼はようやくわたしに視線を戻し、言った。

「委員長がいいってンなら、確かにオレにとっては悪くねぇし、構わねーけど。ホントにどんな方法でも試す覚悟あンの?あと・・それとは別に、も一つ小さく条件追加ってか、気になってるコトがあるんだよな」

 覚悟がいる方法って、昨日みたいに痛い思いをする場合もあるってこと?
 心の痛みに比べれば、身体の痛みなんて、一時的なものだわ。

「今更なにを訊くかと思えば・・わたしは確証のないことで手首まで切る女だぞ。恐れなどない。それより、気になることというのはなんだ?」
「呼び方」
「え?」
「オレの呼び方、どうにかなンね?“おまえ”“おまえ”って、あんま気分よくねーンだけど。せめて、名前で呼んでくれ」
「・・黒衛仁。これでいいのか?」
「あのなぁ・・いちいち、フルネームで呼ばれたんじゃ、落ち着けねぇっての。あーもー、ジンでいいジンで」
「ジン・・」
「で、また“おまえ”って呼んだら、オレの言うこと聞いてもらうからな」
「・・それとこれとは問題が別じゃないのか」
「委員長。コレは意志の問題じゃなくて、無意識の問題なンだよ。人間、自分に利害のないことにゃ、本気になれねーンだろ?」
「・・・・・わかった」
「約束だぜ」
 
こういうことにだけは、頭がよく回るらしい彼の言葉を受け入れる。
 それは何気ない申し出で、些細な変化。
 けれど、わたしにとっては大きな変化。
 ジン・・子供の頃、わたしは彼のことをそう呼んでいたのだから。

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