09. 胸を焦がした永遠
「──と、こういう理由やねんけど・・。まぁ、これは、さすがにすぐ返事出来るやなんて思うてへんから、あとでゆっくり考えてくれ」
「・・・・・」
「で、今回の件についてやけど・・」
「・・・・・」
「・・マリア?」
話を進めようとするも、マールリアンの反応が全くないことに気づいた出雲は、俯き加減で微動だにしない彼女の顔を、そっと覗き込む。
見開かれたままの藍玉色の瞳が紅玉色の瞳とかち合った瞬間──。
彼女の脳が沸騰した。
「わ、私はなんて破廉恥な妄想してるの?こんな都合の良い話、夢でもなければ、あるわけがないのに!」
叫び、顔を真っ赤に染めながら、大仰に首を振る。
そもそも、出雲の訪問自体、不自然なのだ。
マールリアンの母国であるプラティナ国と、出雲の母国・アウルム国はたった数時間で行き来出来るほど距離が近いわけではない。
まして、武術が主流のアウルム国での移動手段といえば、殆どが徒歩か乗り物になる。
彼女のように魔法で移動するか、夢でもなければ、彼がこの国に、自分の部屋に、手が触れ合うほど間近に居ることなどあり得ない。
「この期に及んでも、まだ、出雲を愛しく想ってるなんて・・。現実では叶わないからと、夢の中の彼に欲しい言葉を代弁させるとは・・相当に重症──」
続く言葉は、抱きしめられた腕の力に飲み込まれる。
「──これは妄想でも夢でもあらへん。の、やけど・・待って。俺の方こそ、夢やと疑いたなる嬉しい言葉、聞いた気がする。それ・・ほんま?」
耳元で囁く心地よいテノール。自分を包む大きな身体はよく鍛えられていて、伝わる熱は確かに生身の体温・・マールリアンは再び、目を見開いた。
これ・・夢、じゃない!
「愛しく想うとるって、欲しい言葉貰うたって・・俺を好きってことやんな?」
「い、今のは本当に・・本物の出雲が言ったことなの!?私を・・好きって?」
二人同時に訊ね、二人同時に沈黙する。
心臓は早鐘のように鳴り響き、近過ぎる彼の存在感に、呼吸の仕方すら忘れてしまいそうだ。
そんな状態がしばらく続き、上昇するばかりの身体の熱に思考さえ溶け始めた頃、背中に回された手が肩を掴み、名残惜しそうに離れる身体。
ぼんやり見上げれば、極上の笑みを浮かべている出雲の顔があった。
「──やり直し。マリアは俺をどう想うとるんやて?もっぺん、ちゃんと聞かせて」
「・・・・・あ、の・・これは、本当に、現実、なんですか?」
「まだ疑うとるん?質問に質問で返しとったら、いつまでも先に進めへんのやけど・・うん。ほんまに現実。俺も、本物の出雲やで」
「っ・・それならなおさら、おかしいです!出雲が私を好きだなんて・・あり得ない。もしや・・私が初物だから、喰いたいだけ?」
「・・どういう、こと?」
眉をひそめる出雲。
纏う雰囲気が変わったことに、しかし、マールリアンは気づかない。
「でしたら、期待するだけ損ですよ。ご存知のとおり、私は未経験で出雲を満足させられるとはとても思えません。もっと他に器量の良い女性はいっぱいいますし、貴方なら不自由もないでしょう」
「ちょ・・待ってくれ。つまり、俺がマリアの身体目当てに、その場しのぎで口説いとるんやないか。って?」
出来れば口にしたくない最低最悪の可能性に対し、彼女は肯定の意を込め、コクコクと何度も頷いた。
唖然としたのは一瞬。すぐに持ち直し、激しい剣幕で捲し立てるように言う。
「そないなわけあるか!だいたい、俺はマリアと初めて逢うた三年前から、一切、他の女と色濃い関係なんか持ってへんわ!」
「え?え?」
「なんでそないな見解に・・俺、マリアの中で、どこまで無節操者の好色男やねん・・」
「だって・・出雲自身が言ったじゃないですか!『妹だったら色濃い情事で愉しめた』『手取り足取り腰取り、無垢な身体の隅々まで堪能し、俺の熟練された神業でええ塩梅に開発したる』って」
「・・ああ・・ソレで。てか、一言一句よぅ憶えとるな・・」
「どんな言葉でも、貴方がおっしゃったことは決して忘れません」
しれっと返されたのは、突き詰めればもの凄い殺し文句に成りうる、ある種の深い意味を持っていたのだが・・とりあえず、この瞬間は聞き流すことにした。
それより、まずは目の前の多大な誤解を解かなくては。
「・・はぁ・・ソレはマリアのための牽制やったんよ」
「──全く筋が通りません。なぜ牽制する必要が?」
「マリアは指輪の能力で男装が完璧やと、気に弛みがあったやろ。せやけど、真眼を持つ俺には無意味で、どこからどう見ても、女にしか見えへんかった」
「・・・・・」
「これは正直、情けない話やからあまり言いたないんやけど・・三年もの間、色濃い関係を断てば、どうしてもそういう欲求が前面に出てまう。まして、好きでたまらない愛しい女。しっかり俺を警戒して、自己防衛に努めて貰わな、理性が持つか怪しかったんや」
そう弁解する出雲は、バツが悪そうに顔を歪めていた。
剣豪王と名高く、色濃い経験数多のはずの彼が、精一杯、平静を装って軽口を叩いてくれたのだと思うと、胸が熱くなる。
と、同時に、信じたくなった。
出雲は本当に私のことを、好きなのかもしれない・・と。
「ああ・・けど、やっぱり我慢できへんで、ちょっかい出してしもたな」
「はい?出雲は私になにもしてないと思いますが」
「マリアはよぅ憶えてへんかもやけど、無理に酒飲ませて・・風呂で──」
「・・あ」
記憶を辿ってみて、思い当たる節を見つけた。
強い酒を飲まされ後、無謀にも風呂に入り、のぼせて意識が遠ざかる瞬間、唇に触れたあの温かな感触は・・。
思わず、唇を押さえ、俯く。
もちろん、未経験のマールリアンにとって、それが異性と交わした初めてのキスということになる。
あの時点で、出雲のことは好きだったのだし、触れるだけの優しいものだったこともあり、嫌な想い出とはならないが・・いかんせん、記憶が曖昧過ぎた。
なんだか・・折角のファーストキスが・・台無し。もっとちゃんと憶えていたかった・・。
きちんとお互いを認識して、同意の元ではないことが寂しく思えてしまう。
だからといって、改めて素面の状態で彼とそういうことを、というのは、恥ずかし過ぎて無理な話なのだが。
ちらりとでも「やり直したい」と思ってしまったのは、彼女の失敗。
不意に、両肩に置かれていた手が頬を包み込む。
びっくりして顔を上げれば、そこにあったのは、どこか熱を帯びた艶っぽい視線。
「こっちも、やり直そか」
「え?」
「折角のお初やのに、よう憶えてへんのは残念。そう、思うてくれたんやろ?」
「っ・・そ、そんなことっ」
「俺に強がっても無駄。なぁ・・頼む。このままやと、同意があらへんのに無理矢理してもうた気がして、心苦しい」
「うっ・・」
そう言われては、無下にも出来ず、マールリアンは逡巡の後、小さく首を縦に振った。
頬を包む手に引き寄せられ、出雲の顔が鼻先まで近づく。
「んっ・・」
唇に触れた彼の熱は、心地よく彼女の中に幸せな記憶となって留まる。
しかし、それは、同意の元ということもあって、触れるだけでは終わらなかった。
触れるだけのものが、短く啄むようなものに変わり、ついには角度を変えて深く合わさる。
それら全てが初めての経験で、マールリアンは目を白黒させた。
制止を試みようと開いた口に、とどめとばかりに忍び込まれ、舌を絡めとられ──。
「っふ・・いず、も・・ぁ・・待っ・・」
息継ぎさえどうすればいいのか解らない初心者は、当然、深いキスの合間に意味のある言葉など口にすることは出来ず、ただただ、されるがまま、翻弄される。
酸欠状態に陥りかけたところで、やっと解放された。
大きく息を吸い込み、そのまま背中からベッドへと倒れ込む。
キスの余韻でのぼせ上がった頭は霞みがかり、もうなにも考えられない。投げ出した四肢からは完全に力が抜けていた。
「あ・・すまん。触れてもーたら、なんや、止まらへんかった。・・大丈夫?」
「・・大丈夫、じゃ、ない。なんて、こと、を、するの?・・貴方は」
すまなそうに覗き込んできた出雲の顔を、精一杯、視線を尖らせて睨む。
瞬間、息を飲む彼。次いで、なにかに耐えるように苦しげに顔を歪ませ、席を立とうとする。明らかに距離を取る体勢だ。
どうしたというのだろう?側に居たくないほど気分を害す粗相を、自分はしてしまったのだろうか・・。もしや、嫌われてしまった?
一気に不安になったマールリアンは、まだ力の入らない状態ながら、必至に手を伸ばし、彼の首筋に縋りついた。
「・・嘘・・大丈夫、だから・・待って。行か、ないで・・っ」
「っ・・あぁ、もぅ・・こっち、理性ギリギリな状態やのに・・」
「出雲?」
「──もぅ、無理。限界、切れた・・煽ったキミが悪い」
「なん・・えっ!?」
腰に腕が回り、大きな身体が密着したかと思えば、再び、ベッドに倒される。
なにごとかと戸惑いながらも、出雲の顔を伺ってみれば、熱を帯びた紅の瞳とどこまでも真剣な表情がそこにあった。
「返事はあとでゆっくり・・やなんて言うたけど、アレ、撤回させて」
「・・?」
「俺はこれからの人生、マリアと共に生き、命尽きる瞬間までも、キミの隣りで迎えたい。キミだけを愛し、生涯、想い続けると誓う。せやから・・プロポーズの返事、ちゃんとしてくれ」
「え?い、今?」
「うん、今すぐ、気持ちの白黒はっきりして欲しい。もう、苦しゅうて我慢できへん・・。その気があるんやったら、俺のモノになるって言うて?ないんやったら・・思いっきり突き飛ばしてくれてええ」
唐突過ぎる展開に迷ったのは一瞬で。
「・・貴方のモノに・・なる」
あまりに勇気がいるその一言を、マールリアンは不思議とすんなり口にした。
想いは一緒。
だからこそ、彼の苦しい胸の内が理解できる。
この世で一番愛しい人が、一世一代の告白をくれたのだ。明確な言葉で応えるのが礼儀というもの。
「・・私も、出雲が好きです。貴方と共に、これから先を・・っ・・んっ」
今度は自分の番とばかりに、想いのほどを打ち明けようとしたものの、性急に合わさった出雲の口によって封じられてしまう。
幸い、口づけは軽いもので終わり、先ほどのような状態にはならなかったが、ある意味、それ以上の状態へ陥る可能性がある行為へと進もうとしていた。
彼女の白い首に移動した彼の唇は、そっと首筋を食み、鎖骨へ。
更に鎖骨から胸元へと、丁寧に辿っていく。
触れられるたび、ビクビクと肌を震わせていたマールリアンは、ようやく、出雲がなにをしようとしているのかを察し、必至で彼の身体を押し返そうとした。
「・・い、出雲!貴方のモノにって・・こ、こういう意味だったんですか!?」
「・・うん」
「っ・・こ、こんな急に・・む、無理っ」
「無理なことあらへん。キミが女である限り、こういうコトはいつかするんやから・・それが今になっただけや」
「うっ・・り、理屈は解りますが・・私・・きっと、出雲にご迷惑おかけするだけだと・・」
「なに言うとるん。マリアが初めてなんは承知の上やし、迷惑やなんてこと、絶対ない。逆に、どれほど嬉しいことか。俺は心だけやのぅて、身体も愛したい。キミの全部が欲しいんや」
恋愛経験が皆無といっても過言でないマールリアンにとって、それは圧倒的な破壊力を持った耳に甘過ぎる口説き文句。
未知の領域である、初めての色濃い行為に対する羞恥心と恐怖心という二枚仕立ての鉄壁の壁を、いとも簡単に打ち砕いた。
彼の胸に置いていた手を、そっと自分の顔の両側に置き、紅い瞳に映る自分の姿を見つめる。そこに映っていたのは、どうしようもなく女の表情をした自分で、認めらざるを得ない。
視線を合わせて返答を待つ顔に、意を決して大きく頷いた。
「・・ありがとう。たくさん愛したる・・」
すぐに汲み取った出雲は、この上なく幸せそうに微笑みながら短いキスを送り、より深い行為へ進むために、マールリアンの着物の合わせを解きにかかる。
と、次の瞬間。
「おい・・誰がソコまで許した?俺の領域で盛ってんじゃねーよ」
無遠慮に割り込むガラの悪い声と共に、出雲の身体が吹っ飛んだ。
もんどり打って、ベッドの下へ転がる。
「い、出雲!!」
「ったく・・お前もお前だ。なにやってんの?王族の人間が、公的に正式な誓いも交わしてねーのに、雰囲気に流されてヤられそうになってんじゃねー」
「・・あ・・兄上!?」
見れば、いつの間に入ってきたのか、エルフェンバインが足を突き出した形で立っていて、不機嫌そうに自分を見下ろしていた。
慌てて身を起こし、はだけた着物を直しながら、改めて、兄を見、視線を尖らせる。
「・・いくらなんでも、不躾過ぎます!兄上が二人で解決しろと申したのではありませんか。なぜ、こんな形で邪魔を・・」
「ケリをつけろとは言ったが、貞操まで差し出していいとは言ってねぇ。ヤりたきゃ、きちんと手順踏んでから・・存分にしやがれ」
「手順・・?」
「結婚してから、ちゅうことやろ。ったく・・同じ男やったら解るはずやのに、容赦ないわ」
兄の言わんとしていることが解らず、首を傾げただけのマールリアンに対し、含まれた意図を見事に察したのは、無体な仕打ちを受けた出雲であった。
不満げに頭を掻きながら、ゆっくりと立ち上がり、エルフェンバインを睨んだ。
睨まれた方は、どこ吹く風と鼻で笑う。
「ふん・・そーゆーこと。現実にしたきゃ、とっとと自国に帰って婚姻の手配するんだな」
「・・言われなくともする。カッツェ、居るんやろ?悪いけど、今すぐ、アウルムへ送ってくれ」
「──やれやれ。わらわは都合の良いタクシーではないのじゃがな」
不承不承といった体で、兄の背後から顔を覗かせたのは、アウルムでマールリアンが対峙したあの美姫であった。
なぜ、カッツェン姫がここにいるんだろう・・。
突然の登場に、彼女はやはり首を傾げ、美姫を見つめる。
「ごきげんよう、マリア殿。わらわが居るのが不思議、という表情をしておるな。魔法が訊かぬ出雲殿を、ここまで送り届けた功労者は誰だと?」
「カッツェン様が?」
「うむ。アークガーデンは召喚を得意とする国。わらわも真眼を持つがゆえに、魔法移動は出来ぬ。召喚した獣を駆り、出雲殿とともにプラティナ国を訪れたのじゃよ。ほれ、わらわの余計な一言が、事態をややこしくしてしまったようなのでのぅ。ほんの詫びじゃ」
ここへ来て、出雲が早々とプラティナ国に辿りつけた謎が、ようやく、解けた。
最も、今回のことは、完全にマールリアンと出雲の内輪もめであり、カッツェンは巻き込まれただけに過ぎないのだが・・全く気にしていないどころか、自分に非ありと協力するところが、器の大きさなのだろう。
「その甲斐あって、良い方向で話が纏まったようじゃのぅ。ご婚約おめでとう、マリア殿」
「・・ありがとうございます」
現に、こうして素直な祝福の言葉をくれる。
好きな人と想い合って結ばれることは、単純明快ながら、実現するには難しいものだ。
それが今、自分の身の上に、現実として起ころうとしている。
・・本当に?
「マリア。急いで手配してくるよって、待っててな」
「・・はい。ええと・・改めてお訊きしますが、本当に私でいいんですか?」
「マリアがええの!四の五の言わず、お嫁においで」
少しの迷いと不安は、出雲の明確なプロポーズを耳に、泡となって弾けた。
「っ・・はい!」
力強い返事と共に、満面に笑みを浮かべる。
こんなにも愛され、愛した人とこの先の運命を共に出来る・・なんて幸せなんだろう。
じわじわと体中に広がってゆく幸福感。
それは胸を焦がした永遠──。
そして・・後日、執り行われた盛大な結婚式を経て、晴れて二人は夫婦として固く結ばれたのであった。