08. 二度目の奇跡が無くたって
どれほどの時間が経っただろう。
泣き疲れたマールリアンは、いつの間にか寝入ってしまっていた。
そんな彼女を現実に呼び戻したのは、無粋なドアのノック音。
「マリア殿!マールリアン秘書官殿!!」
「ぅ・・ん・・?」
ドンドンドン、と、礼儀のかけらもなく、力任せに激しく叩く様は、ただでさえ憂鬱な気持ちに拍車をかけた。
正式な帰還の報告もまだだというのに・・すでに自分の存在は把握されていて、その上ですぐにでも通常の業務に復帰しろということなのか・・。
先ほど感じた兄の温情など、ただの錯覚だと、今は恨めしく思う。
気乗りしないまま、のろのろと身を起こすと、鉛のように重い身体を引きずって、薄くドアを開けた。
不機嫌と解る表情で相手を見、低い声で言う。
「・・何用です?急ぎでなければ、明日にしてもらいたい。ちょっと気分が・・」
「帰還早々、お疲れのところ申し訳ございません!ですが・・国の一大事にございます。どうかご助力を!!」
「は?国の一大事とは・・一体、どういう?」
「防護結界を破った者が、無許可で城内へ立ち入り、只今、エルフェンバイン様が排除すべく、応戦中にございます」
「なっ!?」
告げられた内容に、マールリアンは言葉を失った。
それが本当なら、確かに、国の一大事だ。
プラティナ王国はあらゆる魔術の知識が集まる場所であり、強力な魔術を記した古文書も多く保有している。
それらは悪しき者の手に渡らぬよう、城内の最も強固な結界を張り巡らせた秘密の部屋に保管してあるのだが、念には念をということで、城自体にも防護結界を張ってあるのだ。とはいえ、その結界もそれなりに強固で、おいそれと破れるものではない。
侵入者が相当な手練であることは、兄自らが応戦していることからも明らかだ。
ぶるりと大きく頭を振り、緩みきった頬を叩いて気を引き締める。とにかく、今は目の前の問題を片付けなければ。
「・・敵が何者か、見当は?」
「そ、それが・・敵・・と、申して良いのか・・。あの・・信じられないこと、なのですが・・その・・」
相手を知らなければ策も練れないと訊ねてみれば、途端に歯切れが悪くなった。
言葉の端々に滲む戸惑いから察するに、面識のある人物なのだろうか・・。
「情報は明確に!」
強い口調での一喝に、ようやく、核心に触れた報告が耳に届く。
「侵入者は・・アウルム国第一王子にして、現国王の・・出雲・凪=アウルム殿下にあらせられます!」
「えっ・・」
思いも寄らない人物の名を告げられ、再び、彼女は言葉を失ったのであった。
マールリアンが報告を受ける少し前・・プラティナ王国城門内で、二人は対峙していた。
かたや稀代の魔術王。天才肌で俺様気質、プラティナ現国王・エルフェンバイン。
かたや屈強の剣豪王。超一流の色男、アウルム現国王・出雲。
親友であり、悪友であるはずの男たちは、なぜか威嚇するかのごとく、互いを睨み合っている。近寄り難い雰囲気に、プラティナ国の重臣たちはもちろん、王や城を護る立場であるはずの衛兵までもが、一歩下がった位置で事の成り行きを見守っていた。
と、静寂を破ったのは主たる魔術王。
「──入城を許可した憶えはねーぞ。とっとと帰りやがれ」
仁王立ちのまま、剣呑な物腰で告げ、退去を迫れば・・。
「・・性急やけど、きちんとした手続き踏んで、面会の申し入れはしたやろ。一向に受け入れて貰えへん以上、もう実力行使に訴えるしか手がない」
どこまでも真剣な面持ちで、静かに返す剣豪王。
腰に愛用の刀を差し、手には奇麗な装飾が施された細身の剣が握られている。
「ふん・・それこそ、自業自得ってもんだろ?傷付けやがって・・受け入れる道理はねーな。実力行使?誰に言ってやがる。寝言なら、寝てから言え」
「道理は──ある。こうなったそもそもの原因は、事を複雑にしたお前や。普通に預かっとったら、今頃は・・。ほんま、悪ふざけも大概にせな、友達無くすで」
「はぁ?言うに事欠いて、人のせいにするんじゃねーよ。どんな形であれ、俺は約束は守った。やり方失敗したのは、テメーの落ち度だろ。ヌルい女遊びばっかしてっから、大事なトコで間違えるんだよ」
「失敗したかどうかはまだ、解らへんやろ。これから腹割ってちゃんと話そ言うところで、逃げ帰られてしもたからな。全く・・兄妹揃って聞く耳持たへんとか、プラティナの悪い性質や」
「・・なんとでも言え。俺もアイツも見苦しい言い訳と、余計な無駄話に傾ける耳は持ち合わせちゃいねーってことだ。いままでの付き合いと、世話になった恩がある手前、無許可で城内に侵入した件は見逃してやる。これ以上、無理な要求続けてココに居座る気なら──」
「目通り叶うまで、退く気はあらへん」
「──上等」
刹那、出雲に向かって鋭い光が走った。
素早く腰から引き抜いた刀の鞘部分で、それを弾く。
言うまでもなく、光を放ったのはエルフェンバイン。腕を振り上げた姿勢のまま、不敵に笑む。
「一度、噂に名高い剣豪王と本気で殺り合いたいと思ってたんだよ」
物騒な台詞を耳に、慌てたのは周りを取り巻く重臣たち。口々にプラティナ国とアウルム国との親交が崩れることを嘆き、仲を取り持つべく、対峙する二人の間に割って入ろうとする。
「誰も来るな。これはごく個人的な喧嘩で、国は関係ねーよ。怪我したくなきゃ、下がってしっかり結界張ってろ」
「し、しかし・・」
「お互い、自分の立場はわきまえてるし、物の分別もつく大人や。公私混同はせぇへん。とにかく、この場は言う通りに・・頼む。あと、コレ・・彼女の──マールリアン姫の忘れ物。ほんまは俺が届けたいとこやけど、どうなるか解らへんし、一応、渡しとく」
相手国の王である出雲に懇願されては、言われた通りの体で見守るしかなく、預けられた剣だけを受け取って引き下がる。
最も・・気を利かせた臣下の一人が、唯一、この場を収めることが出来るであろう人物の元へ走っていったのだが、このときの二人は互いを牽制することに集中しており、気づかなかった。
周りを巻き込む心配がなくなり、ある意味、身軽になった彼らは、思い思いの体で構える。
「魔術の効かへん俺相手に、本気でっちゅうことは・・それなりに隠し球があるっちゅうことやんな」
「──ご名答。つい最近、やたらと小難しい古文書をどうにか解読してな。おそらくは、門外不出になるであろう、なかなかに強力な古代魔術だ」
「ほぅ・・目付役がいない好機に、公務を臣下に押しつけ、解読に熱中したわけか」
「専念と言え。まぁ、とりあえず・・腐っても鯛。剣豪王と呼ばれる男なんだ。逃げずに真っ正面から受ける勇気、あるよな?」
「詠唱中に斬りつけるやなんて無粋な真似はせぇへん」
「さすが、と褒めてやる。それじゃ・・始めよう」
それが開戦の合図。
愛用の刀を抜きもせず、不動の体勢を貫く出雲に対し、エルフェンバインが仕掛けた。
「・・我招く、坤輿に在りし汝が体躯の一欠片・・」
呪文とともに、複雑な陣形が足下に浮かび上がり、質の良い彼の魔力がその純度を増してゆく。
「・・約櫃より這出る神秘・・冥魔、星魔、狭魔の杙・・」
と、出雲を囲むように三本の光の柱が立ち上った。見れば、彼の足下にも同様の陣形が出現している。
コトの経過を静観していた彼は、にわかに刀を持つ手に力を込めた。
あらゆる真実を見抜く真眼が、危険を知らせている。
この攻撃、受けてはただでは済まない、と。
それでも、退くわけには行かなかった。この場を収めなければ、前に進めない。下手をすれば、欲しいものは永遠に手に入らなくなってしまう。
決意を改めた出雲は、鞘に収まったままだった愛用の刀を抜き、迎え撃つ姿勢をとる。
「・・なお暗き、黎の胎動」
詠唱が──終わった。
洗練された魔力に満ちあふれた陣の中、片手を掲げた天才魔術士は嬉々と笑む。
「喰らいやがれ・・《ノワール・フォルス》!」
発動の呪文と共に、三本の光の柱は黒く染まり、鋭い牙となって取り囲んだモノを噛み砕こうとする。
「──凪流無幻御劔之秘・・っ・・そういう、こと、か」
黒牙を薙ぎ払おうと踏み出した足は、まるで陣に縫い止められてしまったかのように動かなかった。
自分の足下に陣形を描いたのは、こういう意味だったのか・・と、理解しても、時すでに遅し。
奇跡でも起きなければ、この攻撃を防ぐ手立てはない。
さすがの出雲も打つ手がなく、相当のダメージを覚悟した。
「出雲!!」
絶体絶命の際で、彼は最も聴きたかった声を耳にする。
幻聴かと思われたソレは、そのまま形と成って出雲の前・・いや、頭上から現れた。
白銀の髪をなびかせ、別れた時と同じアウルム国の正装姿をした彼女が、細身の剣を構え、降ってくる。
「マリ、ア?なんで・・あ、あかん!今、中に入ったら──」
制止は一足遅く、マールリアンは陣の中──出雲の眼前に降り立ち、地面に剣の刃を突き立てた。
瞬間、黒牙も陣も呆気無く、霧散してしまう。
「なっ・・」
「ちょ・・ウソだろ?」
「え?えぇぇ??」
当然の驚きを示すエルフェンバインと出雲。
二人をよそに、一番の驚きを見せたのは、マールリアン本人であった。
二人の対峙を知らせに来た臣下に自分の忘れ物だと渡されたのは、忘れようがない。アウルム国に滞在した際、城下町の古道具屋で出雲が買ってくれたモノ。
静まり返った中、最初に動いたのは仕掛人である彼。無言で浅く刺さった剣を引き抜き、透き通った刀身をジッと見つめる。
「・・『プレシャス・ハート』とはな。どこでこんな大層な代物に入れたんだか・・」
自信の古代魔術が防がれた理由に、合点がいったとばかりに頷き、場に水を差した張本人を睨んだ。
「傷付けられたくせに、庇いやがって。これじゃ、制裁を加えようとした俺の立場がないだろ・・ったく!」
小さく舌打ちに、忌々しげに剣を投げてよこす。慌ててそれを受け取り、元の鞘に納めると、マールリアンはすまなそうに、けれど、凛とした声で答えた。
「・・すみません、兄上。ですが、今回の一件、出雲殿に非はありません。悪いのは私です」
「──違う。マリアにこそ、非はあらへん。悪いのんは・・回りくどい真似してもうた俺や。要らん傷つけてもうて・・ほんま、すまん・・」
「・・剣豪王殿に謝っていただく筋合いはありません。私は他国の秘書官に過ぎず、これよりは、公務でしかお会いする機会はないでしょう。お気になさらず、どうぞ、お引き取り下さい」
他人行儀に頭を垂れる彼女を前に、出雲は苦い表情で唇を噛み締める。
それでも退けないとばかりに、マールリアンの手を取った。
「・・俺はマリアとの仲をそんなんで終わらせるつもりはあらへん。見苦しい言い訳でも、余計な無駄話でも、聞いてもらう」
「・・必要、ないと思います」
お互いの間になんらかの誤解があるのは確かで、ちゃんと話せば解決するかもしれない予測は、少なからず、彼女にもできた。
それでも・・やはりコトの真相を聞くのが怖くて、どうしても踏み切れない。
と、業を煮やしたのは他の誰でもない、曲者の第三者。
「あーあー、うぜぇ!こんな公衆の面前でなに、ウダウダしてやがる。マリア、出雲を自分の部屋に連れてけ」
「あ、兄上!?」
「俺の邪魔しやがった以上、自分でケリつけるのが筋ってもんだろ。おい!テメーも腹割って話してどうにかなるってんなら、せいぜい、足掻いてみろ。どう転んでも、甘んじて受け入れてやる」
「・・約束やで。ほな、マリア、行こ」
「え?ちょ・・待っ・・!」
鶴の一声を貰い、嬉々と頷いた出雲は、彼女の手を掴んだまま、半ば強引にずんずんと城内の奥──マールリアンの自室へと突き進んで行った。
ほどなく辿りつくと、主の許可も得ずにドアを開け、中へと踏み入る。
当然、部屋にはマールリアンと出雲しかおらず、エルフェンバインが手を回したのだろう。周りから人の気配も、一切、しなくなっていた。
これはどうあっても話をするしかないと悟った彼女は、覚悟を決める。
「出雲・・殿。とりあえず、離して・・下さい」
「嫌や。また逃げられてしもたら困る」
「逃げたりしませんから・・このままでは、落ち着いて話ができません」
「話は口でするものやろ?手繋いどっても、なんの不都合もあらへん。このままで」
いつかのデジャヴのように、やはり、どうあっても譲りそうにない出雲に負け、マールリアンは渋々といった体で、自室のベッドをソファ代わりに彼と隣り合って腰掛けた。
固く握られた手は、そう簡単にほどけそうもなく、まさに二人を繋ぐ手錠の役割をしている。
ここは私が手放しで寛げる領域であるはずなのに・・。
自分の部屋をこんなにも居心地悪く思ったのは・・初めてかもしれない。
これから今回の一件の真相を聞かなければならない、という重圧もそうだが、なにより、目の前の彼がいつもとはまるっきり違う姿をしているのに、戸惑ってしまう。
ぼさぼさの髪は緋色の組紐で奇麗に結い上げられ、常にラフな着流しは、重ねの羽織共々、腰帯でしっかり着付けられていて・・おそらく、公的な行事でしかお目に掛かる機会などないであろう、アウルムの正装。
いつか見たいと思っていた恰好ではあるけれど、このタイミングでわざわざ着込んで来たのには、なにか深い意味があるんだろうか・・。
それとも、公的な用向きが留学の一件で生じた問題──つまり、自分との和解?
一人で勝手に思い悩み始めた彼女を見、出雲はなによりもまず優先すべきことがなにかを察し、行動に出る。
空いた手で髪の一房をそっと払いのけ、露になった首筋を優しく撫で上げた。
ビクリと跳ねた顎を取り、視線を合わせる。
「からくりを話す前に、まず、先に言わなあかんことがある。コレ聞いたら、きっと全ての辻褄が合う思うわ」
「つまり・・いきなり、核心に触れる、ということですか?」
「俺としても、もぅ黙っとるんは限界やから・・。前置き飛ばして悪いけど、覚悟して聞いて欲し。ええ、かな?」
「・・解りました。どうぞ、おっしゃって下さい」
苦しげに揺れる瞳を見、マールリアンは大きく頷いた。言って楽になれるのなら、自分はどんな内容でも受け止めよう。そう、心に誓う。
一呼吸置き、意を決した出雲が、徐に告げた言葉は・・。
「俺、マリアと結婚したいって思うとるんよ」
「・・・・・は?」
「せやから、これからの一生を、俺の側で共に過ごしてくれへんか?」
「あ・・の?」
「──好きなんや。お前の全部を、俺にくれ」
「・・・・・」
一度目の奇跡は、きっと彼と出会えたこと。
二度目の奇跡は・・彼と結ばれること。
けれど、後者は無いと諦めていた。成就の叶わない恋なのだと思っていた。
それなのに・・。
彼は今、なんと言った?
それは、誰がどう聞いてもプロポーズの台詞でしかなく、彼女は目を見開いたまま、固まる。
これは・・一体、なにごと?
彼を想うあまり、自分に都合の良い夢を見ているの・・?
今、自分の耳で確かに聞いたはずの核心は、ともすれば、機能停止した頭からこぼれ落ちてしまいそうなくらい、マールリアンにとっては想定外の愛の告白だった。