09. とても簡単で難しいこと
気のせいなんかじゃない。
彼女の足取りは、見るからに重かった。後に続きながら、ゆっくり過ぎる歩調に何度、ぶつかりかけたか分からない。
いい加減、理由を尋ねようとも思ったけど・・真央の全身が発する固い雰囲気が伝わって来て、声を掛けることさえ憚られる。
そうこうしてる間にも目的地は近づいて、ようやく、僕らは教室に辿り着いた。
やはり、躊躇う背中に痺れを切らし、言う。
「・・緊張してんの?初顔合わせはお互い様じゃん。ほら、早く入って」
「あ・・」
トンッと肩を押し、教室の中へと押し入れる。
瞬間、ざわめいていた室内が少し、静かになった。見れば、クラスメイトであろう女子の目が、一斉に僕ら・・いや、真央に向いている。
その視線は決して好意的じゃなく、一言で言えば“嫌な感じ”だ。
なんだ?
「・・・・・ごめん。あたしもトイレ行って来る。鞄お願い」
「え?あ・・お、おい!」
言うが早いか、真央は教室を出て行ってしまう。
三人分の鞄を抱え、立ち尽くすしかない僕。
なんなんだよ・・もぅ。
訳が解らず、困惑しながらも、そのまま立ちっぱなしでいるのも間抜けだと思い、とりあえず、出席番号で割り当てられた席へと移動した。
鞄三つを机の上に重ね置き、ホッと一息吐く。
「ねぇ、あなた・・あの子とどういうご関係?」
横からの唐突な問いに目を向けると、いかにもお嬢サマといった風体の女の子が、数人の女子を従え、僕を覗き込んでいた。
今逢ったばかりの子にそんなことを訊かれる意図が見えず、僕は曖昧に返事をする。
「どういうって言われても・・友達だけど。それがなにか?」
「まぁ・・その様子だと、知らないようですわね。あの子がどんなに忌まわしい存在か」
なに言ってんだ、この女・・。
ますます混乱するしかない物言いには、しかし、たっぷりと刺が含まれていることだけは分かった。真央を決して快く思っていない、むしろ、邪魔とはっきり表情に出ている。
「忌まわしいって・・どういうこと?てか、きみ、誰?」
「あら、失礼。わたくし、西園寺薫子(さいおんじかおるこ)と申します。女子校であの子とは同じクラスだったのですけど・・」
怯えたように目を潤ませ、表情を曇らせた彼女は、少し震える声で言った。
「あの子、普通じゃありませんのよ。気色の悪いことばかり言って・・そういう人と関わり合いになると、ろくなことがありませんわ。悪いことは申しません、ただちに付き合いをお止めになった方が、身のためですわよ」
普通じゃないって・・霊能力のことを言っているんだろうか。
目の前の彼女──西園寺がどういう経緯で特殊な能力を知り得たのかは分からない。
でも、真央を疎んでいるのは確実で、今日遭ったばかりの僕にまでこういう忠告をご丁寧にしてくれるということは、すでに、女子校での立場は最悪といって過言ではないのかもしれない。
真央のお兄さんが言っていた“精神的”云々は、もしや、僕の言動が原因ではなく、彼女たち・・?
「・・随分、大袈裟なことを言うんだね。ちょっと勘が良過ぎるぐらいで、別に普通だろ?気にし過ぎじゃないかなぁ」
あえて、なにも知らない第三者のように振る舞い、西園寺の動向を探る。
途端、彼女は眉を吊り上げ、激しく抗議してきた。
「あなたは上辺だけでしか物事を見ていないんですわ!あの子、このわたくしに、よりにもよって得体の知れないモノが憑いているなどと言って、不躾に背中を撫でたんですのよ!?」
「それだけじゃないわ。人気の無い空間をじっと見据えていたかと思うと、なにかブツブツ言っていたり・・」
「気分が悪くなるから止めてって言っても、一向に改まる様子ないし・・この上なく迷惑な存在だとは思わない?」
矢継ぎ早に言っては、表情を曇らせる彼女たち。
つまり、僕と同じ目に遭ったということなんだろう。戸惑う気持ち、憤慨する理由も分かるけど・・真央のそれに悪意などあるはずがない。
彼女は自然体。真実を口に、自分のできることをしただけ。
・・頭では解ってるんだ。それが必ずしも理解されるものではなく、大半が誤解して、退いてしまうであろうことは。
それでも・・。
「・・上辺で物を見てるのはきみらだろ。普通じゃないって・・だったら、普通ってなに?そうやって、人の悪口言う人のがよっぽど、気分悪いと思うよ」
自分でも驚くくらい低い声で、冷たく尖った視線を向けて言い切る。
──ほんと、気分悪い。
真央を傷つけた元凶を前に、僕はどうしようもなく苛立っていた。彼女の良さを知りもしないで、勝手な吹聴など・・くだらな過ぎる。悪戯に大袈裟な噂すべてに、真央が心痛めていたのだと思うと、やりきれない。
「な・・あ、あなただって、あの子のこと“魔女”っておっしゃっていたではありませんの!快く思っていないことは明白ですのに・・支離滅裂ですわよ!?」
いかにも同類みたいな言い方をされ、ますます、僕の機嫌は下降の一途を辿った。
今日遭ったばかりのい第三者に、知った風な口を利かれたことも腹立たしいし、なにより、僕と真央の関係を勝手に詮索した挙げ句、賛同がなきゃ、支離滅裂だなんて・・何様?
「ああ、確かに。僕は真央のことをそう呼ぶ。けど、それは愛称みたいなものだ。快く思ってないなんて、勝手に決めないでくれる?」
「わ、わたくしはただ、あなたのためを思ってご忠告を・・だいたい、被害に遭っていないから、そんな悠長なことが言えるんですわ!」
被害・・被害ね。
僕はあんたらよりずっと、凄いモノを視た被害者だけど?
「言っとくけど、僕と真央の付き合いは昨日今日じゃない。当然、そういう体験を僕もしている。いや、むしろ・・」
僕は類い稀な霊媒体質だと、真央は言っていた。望めば、視ることも可能だって。
もし、彼女たちが真央を貶めるような発言をする理由がそれなら、僕も同類だと解れば、あるいは、真央への風当たりは弱くなるんじゃないか?
瞬時にそんなことを考え、僕はなにもない空間へ目を向けた。
「仲間なんだよね」
「え?」
「だって、僕にも──」
ゆっくり視線を戻し、ニッコリと嗤ってやる。
被害者特有の勘のようなものが働いたのか、僕の意図をよく理解し、一気に青ざめる彼女たち。
「・・ご冗談、でしょう?」
「そう思いたければ、ご自由にどうぞ?」
「・・っ・・」
言葉無く、去って行く姿を見送り、やれやれと肩を竦めた。
恐らくこれで、今日中にそういう噂が広まり・・少なくともクラスの女子大半の僕を見る目は変わるだろう。
さて・・逃げ去った同類はどこへ行ったのやら・・。
「・・あんな嘘・・馬鹿ね。あたしみたいになることないのに」
背後からの声に驚いて振り向けば、探し求める姿がそこにあった。
いつの間に戻ってきたのか、真央は不機嫌な表情で立っていて、僕の肩越しに手を伸ばすと、机の上に置かれた自分の鞄を手に取る。
「別に・・半分はホントだし。僕は男だから、陰口叩かれようが、避けられようが、気にならないよ。真央と違って、図太いからね」
「あたしだって・・図太いわよ」
「体調崩して、寝込んだヤツがなに言ってんだか・・つか、そーゆー目に遭ってんなら、言えよ」
「・・言ってどうにかなるもんでもないし、別に・・慣れてるもの」
頑なに自分の弱さを認めようとしない彼女が虚勢を張ってることなど、今の僕にはお見通しで、苦く笑うしかなかった。
真央は・・自然体で真実を口にする反面、肝心なところで素直になれない天の邪鬼。
このまま深く突っ込んで、自分がいかに無理していたかを思い知らせる必要があるかもしれない。
使命感のようなものが沸き上がり、僕は素直にその内なる意思に従った。
今にも自分の席に戻ろうとする手から鞄を奪い、再び、僕の机の上に置くと、今度は細い手首自身を掴み、教室から連れ出す。
「ちょっと・・なに?そろそろ、HR始まるんじゃ・・」
「初日のHRなんて、どうせ自己紹介の場だろ。僕も真央も、ある意味、紹介なんて要らないぐらい目立った存在になってると思う。それに・・真央には僕の説教が必要そうだから」
「は?どういう・・なんで、あたしがあんたの説教なんかっ!」
まるでこちらの自由にならない。気位の高い猫のような反応で不平不満を繰り返す真央を無視し、僕は人目を避けながらどんどん歩みを進めた。
少しベタかな?と思いながら、体育館裏の倉庫の扉を開け、中に入る。先客は居らず、室内も明るくて、なんとなくホッとした。
「・・こんなとこに連れ込んで、なんのつもり?」
逃げる様に距離を置いた彼女が、僕を睨みつけながら言う。口調はもの凄く反抗してるのに、切れ長の黒い瞳には不安気な光が宿り、僕に対しても精一杯、虚勢を張ってるのが解った。
人の気も知らないで敵視かよ・・傷つくなぁ。
「──言っただろ、説教するって」
「だから、なんで説教されなきゃならないの?意味わかんない。あの子たちに対してだって、仲間だなんて・・同情のつもりなら、やめて。言ったでしょ?慣れてるって」
「・・どっちが嘘吐きだよ。慣れてるヤツは逃げたりしない。あいつらの顔見るのも辛いほど、傷ついたんだろ?確かに、真央とは口喧嘩のが多くて仲良しってワケじゃないけど・・力を貸すぐらいの度量はあるつもりだよ。僕に言ってもどうにもならないなんて・・勝手に決めんな」
言い切って、真っ直ぐに真央を見つめる。
お互い、目を逸らしたら負けとばかりに睨み合い・・先に音を上げたのは彼女。ふいっと視線を外し、俯く。
「・・なんで・・」
「ん?」
「急に、そんな・・優しいの?兄貴に、なにか言われたから?」
優しい?僕が?真央に対して?
確かに、お兄さんと話して真央の事情を知り、『これからも宜しく』みたいなことは言われたけど、他人に言われたから・・なんてことはない。
なんで?そんなの・・僕がそうしたいから。
じゃあ、そうしたい理由は?
・・真央が心配だから。放ってはおけない特別な人、だから。
・・・・・あれ?
これって、つまり・・僕は彼女のことを──。
自分の気持ちを理解した途端、全ての辻褄が合った気がした。
いつか、自分の中に浮かんだ幾つもの疑問に、今なら、はっきりと答えられる。
僕は真央を望んでいる。
僕は真央を特別だと思っている。
僕にとって、真央は──無くしたくない大事な存在。
ああ、もぅ・・こんな簡単なこと、難しく考えていたなんて・・滑稽だ。
「・・真央が好きだからだよ」
その決定的な一言は、自然に僕の口から出たのだった。