08. 触れられて巡る予感
翼と空夜の件は置いといて・・僕には腑に落ちないことがあった。
甲斐谷先輩だ。
真央が言うには、今回の合併を現実にすべく働きかけているのは彼だという。なにより、翼と接触し、何事か話して・・見る目が優しいって、一体、どういう心積もりがあるのだろう。
つか、完全に女の子の格好をした翼と遭ったって、ある意味、ヤバいんじゃ・・。入れ替わっていたことがバレたら、なにかと問題にされるんじゃないか?
そんな危惧もあり、僕は先輩の部屋を訪ねた。
「甲斐谷先輩。椋本ですが・・少し、お時間宜しいでしょうか?」
「椋本?・・ああ、大丈夫だ。どうぞ」
唐突に訪ねたにも関わらず、快く招き入れられ、適当に座すようにと席を勧められる。
三年は一人部屋だから、当然、甲斐谷先輩と僕の二人きりで・・先輩の存在感に、軽く気圧されてしまう。
「そう緊張するな。ふむ・・やはり、双子だからといって、同じではないか。彼女は俺を怖がらなかったんだがな」
苦笑の籠ったそれに、まさかの考えが、より確実な可能性を孕む。
「先輩は・・知ってたんですか?」
「きみらが入れ替わっていたことを、か?」
「なんで・・」
「くくっ・・まさか、姉弟共々に同じ説明をせねばならんとはな」
「説明?もしや・・女子校で、翼と遭ったときに、話したんですか」
「・・察しがいいな。用事に出向いた先で、たまたま見掛けたんでな。少々、気に掛かることもあって・・話したよ。一応は、元気そうだった」
「・・そうですか、良かった。えっと、それで・・」
「俺は初めから全て承知していたんだ。父がきみらの母君と懇意にしていてね。フォローを頼まれたんだよ」
母さんが甲斐谷先輩のお父さんと・・?
そういえば、母さんはどこぞの会社で社長秘書してるとか言ってたな。んで、その社長とお付き合いがどうとかも・・その相手が、まさか甲斐谷先輩のお父さんだったなんて。
「しかし・・本当になにも知らされていないんだな。澪(みお)さんも人が悪い」
自分の母親の名前を親し気に口にされ、濃い可能性に突き当たる。
もし、万が一、母さんがその人と再婚なんてことになったら、甲斐谷先輩と僕らは身内になるってことで・・。
ふと、真央の言葉を思い出す。
彼は味方だと、翼を見る目が優しかったと言っていた。僕はてっきり、甲斐谷先輩が翼を好きなんじゃないかと思ったけど・・そういう情じゃないのかもしれない。
「俺は一人息子というやつでね。母は幼くして病気で死に、父と二人きりなんだ。決して、父と仲が悪いわけではないが・・家族と言うものが羨ましかったよ」
僕の考えを肯定する先輩の心情を知り、確信した。
甲斐谷先輩は僕と翼を弟と、妹として見て、面倒見てくれているのだと。翼の辛い状況を打破すべく、動いてくれたのだということが。
見た目は迫力があって、近寄り難い雰囲気を纏っているけど、本当は、情に厚い、とても優しい人なんだ。
「だから、父と澪さんが一緒になり、きみらが身内になることを、俺は歓迎している」
「先輩・・」
うわ・・やば・・なんか、すごい感動。
僕の中にあった“甲斐谷周防”という人に対する印象が、一瞬にしてプラスのみに彩られ、崇拝と言っても過言でない感情が沸き上がる。
「──僕も・・歓迎しますよ・・兄貴、欲しかったし」
照れくさくて正面切って言えない僕。
不意に、大きな手のひらが頭の上に乗って、やんわりと撫でられた。
「有り難う。なによりも嬉しい言葉だ。俺も弟が欲しかった」
にっこりと優しい笑みを向けられ、僕は・・そういう趣味は全くないけど、ある意味先輩の笑顔に見惚れてしまい、頬を赤くしたのだった。
その後、僕が知り得ていなかった母さんたちのなれそめを聞いたり、甲斐谷家に関することも聞いたりして、先輩との距離は縮まる。
そこで明らかになった驚くべき事実として、彼の父親は会社社長などではなく、この学校の理事であり、母は理事秘書という、学校に密な関係の立場にあったということ。
もちろん、僕の推薦話に関して、母がなんらかの便宜を図った裏取り引きはなく、公正な判断で決まったのだということ。
同室の友であり、翼の想い人である小笠原空夜が甲斐谷先輩の遠縁にあたる従兄弟であったこと・・挙げただけで、かなりの収穫だ。
僕が甲斐谷の性を名乗る日は、そう遠くはないだろうことを感じながら、更に月日は流れ・・。
新学期と言うには半端な時期に、その変化は現実のものとなった。
真新しい校舎。着慣れた制服に身を包み、廊下を闊歩する。
張り出されたクラス表を前に、懐かしい姿を見つけた。
「翼ーーーっ!」
大声で名前を呼びながら駆け寄る。小脇で抱きついていた彼女に目配せし、その腕をやんわり解きほぐすと、僕こそがと抱きしめる。
「はぁ・・ホント、元気そうで良かった・・。甲斐谷先輩に聞いてたけどさ、ちゃんと自分の目で見るまでは、安心できなくって」
「・・翔。久しぶり・・」
僕とそっくりの容姿ながら、声はずっと高くて、女の子らしい。可愛い身内を前に、僕はひたすらに上機嫌に微笑む。
見つめる先で翼はといえば、なんとなく周りを気にし、そわそわしていた。
まぁ、なにを気にしているかなんてお見通しで・・けれど、僕はそ知らぬを装う。
「しっかし、まさか合併とはなー。ただの噂じゃなかったんだな」
わざとらしく言って、傍らの彼女へちらりと視線を向けた。
意図を汲み、小さく頷く。
「だいぶ前から持ち上がってた話らしいけどね。男子校の生徒会長が意欲的に動いてくれたおかげで、ようやく実現したとか・・つか、翼から離れなよ。シスコン」
「男子校と女子校の間にあった大学が経営不振とかで、紫煙と教育の幅を広げる目的で、三校合併の大学付属になったんだっけ・・つか、うるさいな。僕に指図すんな、魔女」
敵対姿勢は打ち合わせ済み。なにも知らないであろう翼に、自分の状況が変わったことを認識してもらい、空夜と向かい合うしか道がないことを思い知らせる。
もちろん、くっつくか別れるかは本人たち次第で、深く立ち入るつもりはない。
さて、それじゃあ、爆弾投下といくかな。
「それはそうと・・翼。空夜見なかった?先に来てるはずなんだけど」
軽い口調でその名を口に訊ねてみた。
「・・さ、さぁ?・・ごめん、私、ちょっとトイレ行って来る」
「んじゃ、あたしも・・」
「いや、混んでそうだし、真央ちんは翔と先に教室行っててよ。鞄だけお願い」
面白いほど予想通りの動揺を見せ、場を去ろうとする翼。
仕上げとばかりに、僕たちはお互い渋面になり、嫌々といった調子で言葉を重ねた。
「えー・・シスコンとぉ?」
「だから、シスコン言うなって、この魔女」
「そっちこそ!あたしの名前は真央。まーお!だいたい、シスコンはシスコンじゃん。それとも・・ナルシストって言おうか?自分そっくりの顔した翼大好きなんてさ、ナルシストだよねぇ」
「な、ナルシストぉ!?か、勝手なこと言うなよ!僕は翼と全然違うだろ!?」
苦く笑いながら離れて行く気配。場に残されたのが、蚊帳の外であるべき二人になったところで、僕らは小さく息を吐き合った。
「行ったかぁ」
「行ったわねぇ」
「なぁ・・あの二人、うまくいくの?」
「いくわよ」
迷いのない答え。
「そっか・・良かった」
大きな安堵感が広がる。
僕にとって翼は大事な半身。そして、空夜は掛け替えのない友達。その双方が最善の結末を迎えられるというなら、こんなに嬉しいことはない。
もちろん、まだ現実のものとなったわけではないが、お墨付きしたのは他でもなく、真央だ。
彼女の勘は絶対的に信用出来る。
「んじゃ、僕たちは言われた通り、一足先に教室行ってるか・・。翼の鞄持つよ」
「・・・」
手を差し出すものの、真央は再び、張り出されたクラス表に目を向け、黙り込んでしまう。
なんだろう・・誰か気になるヤツでもいたのか・・?
ざっと見る限り、僕の知り合いといえば・・翼に空夜、そして、目の前の真央だけ。
僕の知らない誰かに意識を取られている彼女が、なぜか少し、腹立たしく感じた。
「ほら、貸せってば!」
半ば、強引に真央の手から鞄を奪おうとした拍子に、お互いの手が触れ合う。
・・え?
細い指先のあまりの冷たさに、僕は目を見張った。
なんでこんなに冷たいんだ・・?
よくよく、真央の顔を見てみれば、どこか固く強張っていて、微かに血の気も退いている。明らかに様子のおかしい彼女がいた。
「・・真央・・?」
恐る恐る名前を呼んでみる。
と、真央はゆっくり視線を足下へ落とし、黙ったまま、僕の手をギュッと握りしめた。微かに震える指の理由を訊ねる前に、その手は離れ、望む鞄を持たされる。
「鞄、よろしく。教室・・行きましょ」
「あ・・ああ・・」
彼女に触れて、頭を巡ったのは──嫌な予感。
・・いや、僕の勘など、真央のそれに比べたら的中率のないもので・・うん、絶対、アテにはならない。
そう、良い意味で外れると高を括っていた僕は、この後に起こる騒動のことなど、露ほども考えられなかった。