07. 今なら空も飛べるはず

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 いつも通りで大丈夫。
 男に二言はない。

 そう言われ、出雲の婚約者役を引き受けたマールリアンであったが、問題の相手を前にし、後悔だけが胸の内を埋め尽くしていた。
 諦め悪く言い寄ってくるというぐらいだから、玉の輿を狙ったせいぜいが中流階級程度の女性だと思っていたのだが・・。

「お初にお目に掛かるのぅ。アークガーデン第一王女、カッツェン=アオゲじゃ。この度はわらわの我が侭を快諾して下さり、感謝致す」

 優雅に腰を屈め、丁寧な挨拶を口に頭を垂れる皇女は、目を見張るほどの美人である。
 豪奢な藤色の髪、高貴な輝きを放つルビーの瞳。纏う雰囲気と備え持った品格が、明らかに違う。
 もちろん、一国の王の補佐として外交に出掛けた先で、見目麗しい諸国の姫君に出迎えられる機会は多々あり、こういう対面は初めてではない。
 が、出雲に好意を寄せるカッツェン姫にとって、自分は恋敵という邪魔者以外の何者でもなく、決して快く思われてはいない人間。
 なんとなく居心地の悪い空気が漂い、思うように言葉が出てこない。
 完全に気圧され、微動だにしないマールリアンは、いつも通りどころか、最低限の挨拶も出来ない無作法者に見えてしまうはずだ。

「・・やはり、わらわのこと、気に召してはおらぬようじゃな。獣人の姫では相手にならぬか?」

 事実、カッツェンの表情が微かに歪み、苦々しい視線が注がれる。
 更に悪くなりそうな空気を取り繕ったのは、この場をセッティングした元凶たる彼。

「──彼女は人種差別するような女ではありませんよ。貴女ほどの素晴らしい美姫を目の前に、緊張しているだけです」
「・・それこそ、心外というものじゃな。わらわはただ、普通に挨拶しただけじゃ。これしきのことに対応出来ぬようでは、出雲殿の婚約者は務まらぬと思うが?」
「相手が相手ですし、仕方ないと思いますけど?とにかく、わたしの大事な方ですから、どうか、お手柔らかにお願いします。カッツェン姫」
「・・っ」

 苦笑混じりに諭す声は柔らかく、独特のイントネーションの砕けた口調はどこへやら。初めて聞く丁寧過ぎる言葉の数々に、思わず、吹き出しそうになった。
 と、背後の気配が動き、そっと肩に手が置かれる。
 ハッと我に返り、慌てて腰を屈めた。

「・・し、失礼致しました。私は、プラティナ国第一王女のマールリアン=プラティーンと申します。お目に掛かれて光栄に存じます。懇意にして戴ければ幸いです」
「プラティナ国・・とな?」

 非礼を詫び、遅ればせながら自己紹介した彼女は、どうにか普通の挨拶を返せたと、内心でホッと胸を撫で下ろす。
 だが、相手はそれを良しとしないのか、ますます表情を曇らせ、冷たくマールリアンを一瞥し、出雲へ向き直った。

「・・これは少々、冗談が過ぎぬか?」
「冗談?一体、なにがおかしいと言うんですか」
「将来を約束し、真剣に付き合うてる方だと言うから、非常識を承知で願い出たというに・・とんだ茶番じゃ」
「茶番とは、また、心外ですね」
「出雲殿がエルフェンバイン王と、公私ともに懇意にしているのは存じておる。わらわを諦めさせるために、婚約者の振りを、と、妹であるこの者に願うたのではないか?」

 ・・バレバレじゃないの・・。

 カッツェンの的を射た鋭い指摘に、マールリアンはそれと解る狼狽えぶりで顔を引き攣らせる。
 不機嫌な美姫の攻撃はなおも続いた。

「相手にわらわが認めるだけの能力がないとしても、同じ第一王女の身という部分だけで引け劣ることなく、更に、出雲殿の巧みな話術があれば言いくるめられると・・。侮ってもらっては困る。その手には乗らぬ」

 事の真贋を完璧に見抜いているカッツェンを、これ以上、欺くことは難しい・・。
 普通なら、完全に追い込まれた立場で、焦りの一つも浮かぶはずの出雲は、しかし、表情を全く変えることなく、ただ、肩を竦める。

「確 かに、エルフェンバイン殿とは見知った仲ですが、それとこれとは話が別というか・・貴女の言うことは全て予測の域に過ぎないでしょう?それこそ、事実無根 の言いがかりというやつなので、こちらこそ対応に困ってしまいますよ。だいたい、公私ともに懇意なのは貴女も同じですし、懇意にしているからこそ、非常識 な願いをこうして受け入れて面会の場を設けたんです。これ以上、わたしと『マリア』の仲を邪魔する権利がカッツェン姫にあるんですか?」
「っ・・」

 さも、相手の間違った見解に迷惑しているという風な、堂々とした口ぶり。
 まるで、カッツェンの方に非があるように思えてしまう。
 いまや、両者間のやり取りを傍観傍聴するだけのマールリアンは、ただただ、事の行く末を案じ、ハラハラとするだけ。
 しばしの沈黙とにらみ合いを経て、ついに、大きな溜息と共に細い両肩が落ちる。

「・・わらわは、貴方にとって客人の域を出ず・・恋人には成り得ない、ということかや・・?外向きの口調でしか応対して貰えぬほど・・」
「──ええ。どんな状況になっても、貴女と婚姻を結ぶことはないと思います。優しく丁寧に扱うことはしても、それはあくまでも貴女がアークガーデン第一王女という、他国の要人だからです」

 間髪入れずの即答は、およそ清々しいとさえ思える徹底的な拒絶。
 一瞬、泣きそうに表情を曇らせた彼女は、すぐに持ち直したのか、薄く笑った。

「ふ・・なれば、政略でも構わぬ。アークガーデンと縁を結ぶことは、相当に有益であろう。それでもわらわを選ばぬか?」
「──そうですね。でも、やはりわたしはプラティナ国第一王女のマールリアン=プラティーンを選びます」
「・・プラティナの方が有益だと?国力を量り兼ねるというのであれば、実力行使で披露しても良いのじゃが」
「ははっ!国の頂点に名を連ねる者が、要らぬ戦乱を引き起こそうなどと・・カッツェン姫こそ冗談が過ぎますね。それに・・有益だからマリアを選ぶんやない。国は関係あらへん。俺が欲しいだけや」
「・・・・・この後に及んで、本来の口調に戻られたか。それほどに・・」

 にらみ合っていた両者の目がこちらに向き、心臓が跳ねる。
 そのどちらも、自分は欺いている・・そう思うと、心苦しくて見ていられない。
 思わず、視線を外し、下を向く。
 
「・・のぅ、そなた。マリア殿?王妃はどうあるべきだとお思いになられる?」
「は?」

 と、再び、口を開いた美姫からの唐突な質問に、マールリアンは面食らってしまう。

「・・王妃としての役割、ということですか。・・」

 だが、すぐにそれが最後の見極めなのだと気づき、慎重に考え、言葉を選ぶ。
 剣豪王と名高い出雲の婚約者として・・現アウルム国の未来の王妃としてふさわしく思える、カッツェンが納得のゆく答えは・・。

「──深読みするでない。わらわはもぅ、出雲殿のことは・・・・・諦めた。これは各国の姫君なら誰にでも、訊いておることじゃ。一般論ではなく、そなたがこう在りたいと思う姿を答えてくれれば良い」

 諭すように言われ、その美しい双眸を見つめれば言葉に嘘はないらしく・・マールリアンは小さく息を吐いた。
 とりあえず、自分の役割は無事に果たせたらしい。
 ホッとしたところで、今一度、カッツェンの問いに対する自分の考えを頭の中に描いてみる。
 王妃という立場上、普通なら、王を支えることを第一とし、もし、他国へ趣くようなことがあれば、国の留守を預かって王の帰りを待つ・・といったところなのだろうが・・。

「常に王を支え、共に在りたいものですね」
「ふむ・・国を留守にするようなことあらば、おとなしゅう帰りを待つ、といったところか。それが戦場であった場合、万が一がないとも限らぬしのぅ」

 定石通りというように、カッツェンが頷く。
 だが、マールリアンは首を振った。

「常にというのは、言葉通り、四六時中一緒に居るということです。たとえそれが戦場であっても・・いえ、戦場ならなおさら。私はおとなしく帰りを待つより、肩をならべ、一緒に戦いたい。万が一の時には、全力を尽くして共に果てたいと思います」

 そう、もしも自分が出雲の伴侶となったなら、ただ帰りを待つだけの存在ではいたくない。時には剣となり、時には盾となり、時にはゆりかごとなって、公私ともに、誰よりも頼りになる彼の分身になりたいのだ。

 ・・そうか。私は・・。

 と、そこで気づいてしまう。
 出雲に対する、自分の気持ちを。

 彼のことが・・好きなんだ。

 あの体の変化も、無理な頼みを断れない弱さも、彼に対する特別な想いがそうさせていたのだと思えば、全て辻褄が合う。
 胸の内にあった消化不良なもやもやが、一気に晴れた気分だった。
 ましてや、自分にとって初めての恋心というものは心地よく、今なら空も飛べるかもしれない。

 ・・なにを厚かましい・・。
 私は彼を騙しているのに?好きになる資格なんて、ない・・。

 浮上した気分は、しかし、自分の置かれた現状を思い、一気に地に落ちる。
 剣豪王と名高い一国の王と、王族とはいえ、力量の半端な自分とでは天と地ほど差があり、彼の分身になるなどと、それこそ厚かましく思い上がった思考だ。
 なにより深刻なのは、これから普通に接することができるかどうかだろう。
 幸か不幸か、今日明日で留学が終わるわけではなく、まだ、しばらくはごく近い距離で同じ時間を過ごさなくてはならない。

 この先、どうしたら・・。

 途方に暮れ、おずおずと顔を上げれば、なぜか目の前の二人が驚いた表情をしていた。
 つい自分の想いに耽ってしまったが、カッツェンの問いに対する答えは相当、奇妙で奇抜で常識を逸脱したものであったのだろう。

「・・と、いうのは、変な考えですよね。すみません。忘れて下さい・・」

 慌てて取り繕い、無理矢理笑みを浮かべる。
 と、自分を見つめる目が互いへと移り──。

「・・なるほど。出雲殿がそなたを選ぶ理由が・・解った」
「え?」
「わらわに勝ち目など微塵もないはずじゃ。理想そのものがすぐ目の前に実在している奇跡・・運命の相手としか言い様がない」

 理想そのもの?自分が?
 とても信じられなくて、言葉の真意を仰ぐように当事者を見つめた。
 見つめられた方はと言えば・・照れ臭いのか、本気で困ってるのか、必要以上に大きな素振りで肩を竦める。

「・・最初に断った時、同じ質問をカッツェにされたんよ。そして、俺も今のマリアみたいに・・定石通り、ただ静かに待つだけの女より、俺の横で一緒に戦うてくれる強い女がええって、言ったんや」

 奇抜としか思えない同じ考えを、よもや、出雲が持っていようとは・・。
 茫然とすると同時に、胸に熱いものが込み上げ、思わず、口元を押さえた。
 なぜ、こんな出逢い方をしてしまったのだろう。
 なぜ、私は自分を偽ってしまったのか・・。
 今、姿こそ女であっても、本来、出雲の認識はあくまでもエルフェンバインの弟に他ならず・・いっそ、マールリアンだと・・本当は弟ではなく、妹の方なのだと明かしてしまいたい。

 ──いえ。今更、明かしても・・良いことなど、なにもない・・。

 旅立つ前、兄に言われた言葉が甦る。

『いわゆる女にだらしない無節操もんでなァ。そのまんまで行ったら、武術なんてろくに教えてくれず、下手するとおまえ・・喰われるぞ』

 兄の言葉をそのまま鵜呑みにする気はない。
 だが、男と偽ったからこそ、その根拠を裏付ける本音を、彼女は他でもない本人の口から聞いてしまっていた。

『キミの双子の妹って・・まだ、男と付きおうたこと、あらへんよな?
 ──ちゅーことは、未経験。初物か・・。留学相手、妹やったら愉しめたのに・・』

 おそらく、マールリアンであっても、出雲は歓迎してくれるだろう。
 今までのような扱いはされず、もちろん、きつすぎる剣の稽古もなく、優しく丁寧に接してくれるかもしれない。
 しかし、それは彼女の望む形ではなかった。

 私が女では・・同じ付き合いができない・・。
 
 そう、良くも悪くも素で向き合ってくれるのは、相手が男という前提があってこそなのだ。
 つまり、理想を追おうとすれば、女であることを隠し続け、偽らなければならない。
 それは同時に、二人の間に男女の仲は成立しないということになる。

 想いを自覚して最速、失恋が決まろうとは・・なんと空しい恋だろう・・。

 とにかく、自分にできることはただ一つ。
 出雲の期待に応え、彼に認められる剣の腕前を身につけること。
 そして・・アウルム国に居る間は、彼にとって役立つ弟子として振る舞おう。たとえそれが、今回のように空しさを伴う婚約者のフリ役だとしても。
 気持ちも新たに、自分の有り様を心に固く決めたマールリアンであったが、次の美姫の言葉で全てが崩れる。

「最も・・出雲殿はわらわと同じく、真眼の持ち主。嘘や偽りはもちろん、そういう手合いの魔術も効かぬゆえ、初めからそなたのことを妻に相応しき女性であると、見抜いていたのであろうがな」
「・・え?」

 一瞬、何を言われたのか解らなかった。
 それほどに、カッツェンが言い放った内容は彼女にとって衝撃的だったからだ。

「カッツェ!!」

 ひどく焦った、悲鳴にも似た彼の声が飛んだが、事情を知らない美姫の口を塞ぐことはできなくて・・。 

「知らぬのかや?真眼・・とは、全ての真実を見通すことが出来る特殊な眼のこと。多くは緋色をしており、この眼の持ち主に対してはどのような高度な魔術をもってしても欺く事は不可能。そう・・たとえ、稀代の天才と名高いそなたの兄の魔術であっても」
「っ・・待て!それ以上は──」
「出雲殿を騙すことは出来ぬ」

 出雲の制止も空しく、言い切るカッツェン。
 
「出雲が・・真眼の・・持ち主・・?魔術が、効かない・・?」

 ぼんやりと反復し、目の前の奇麗な紅玉をジッと見つめた。

「緋色の・・眼・・。そう、か・・真眼の、証たる色・・だ」

 マールリアンはようやく、言葉の意味するところに気づく。
 両手に拳を握り、震える声で訊ねた。

「・・出雲は、初めから気づいていたんですね・・私がマールリアンであることに」
「・・・・」
「兄の魔術など効き目はなくて・・真眼で見えていたんでしょう?本当の私の姿が」
「・・・・」
「・・さぞや滑稽に映ったでしょうね。全部解ってるのに、男として振る舞う私は・・。楽しかったですか?貴方の一言一句に狼狽えて、必至で取り繕う私を見るのは」
「・・・・」

 出雲は答えない。
 ただ、静かにマールリアンの言葉を聞いている。
 それがますます彼女の自尊心を傷付けた。
 最初に欺いたのは自分で、彼は事実を知っていても言わなかっただけ。責めるのは筋違いだし、その資格もマールリアンにはない。
 それでも・・アウルムに来てから今日まで、日々、思い悩みながら過ごしてきた自分を思うと悔しくて・・。更に、そんな出雲を好きになってしまうなど、あまりの愚かしさに泣きたくなる。

「・・本当に・・私は馬鹿、だ」
「・・・・マリア、聞いてくれ。俺は──」

 なにごとかの決意が伺える視線を、けれど、マールリアンは拒絶した。
 これ以上、傷つきたくはない。

「・・【聡明で優しいお兄様、小動物のように脆弱な私めにどうか救いの手を差し伸べて下さいませ】」
「? マリ──!!」

 決して使うつもりのなかった魔術発動の呪文を、マールリアンは口にする。
 あっという間に彼女の身体は露と消え・・。



 一瞬にして、辺りの景色が変わった。
 そこは馴染み深くも懐かしい、プラティナ王国にあるマールリアンの自室。
 逃げ帰って来た場所が他でもなく、自分の領域であることに兄の温情を感じる。

「・・兄上・・ありがとう。これで、思いっきり──・・っく・・ぅ・・!!」

 続く言葉は伏せた枕の中に、嗚咽とともに消えたのだった。

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