07. 名前の付けられない感情

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「あかん・・俺、もぅ、あかんわ・・翼不足過ぎ・・倒れそ」


 昼休み。
 毎度おなじみの愚痴が始まる。


「きっちりご飯食べておいて、どこが倒れそうなんだか。だったら、逢いに行けばいいじゃん。女子校って言ったって、別に、男子禁制ってわけじゃないだろ」
「そない言うても・・あの敷居の高さは、尋常やないで?なんやジロジロ見られるし、不必要に声掛けられるわ、誘われるわ」
「まぁ・・その容姿と背じゃ、女の子の興味を惹いて当然だと思うけど。残念だったね、お疲れさま」


 僕が言うまでもなく、一切の連絡手段を断ってしまった翼に直談判すべく、空夜は単身、女子高に乗り込みに行ったことがあるらしい。
 もちろん、厄介な事態になるのが目に見えていたから、僕は遠慮させてもらった。
 結果は・・聞いての通り。


「残念だったやあらへんわ。友達やったら、一緒に行ったろって気にならへんの?まして、血を分けた姉やろ。今、どないな生活しとるのかとか、元気でやってるのかとか、心配やないの?」


 ジトっと八つ当たりみたいに睨まれ、僕はただただ、溜息を吐いた。


「なんで当事者じゃない色恋沙汰に、第三者の僕が首突っ込まなきゃならないのさ。それこそ無粋だろ」
「それは時と場合によるやろ?今は、一切の情報がない切羽詰まった状況や。藁にも縋る思いで、俺は・・翔を頼りたい」
「翼は大丈夫だよ。ちゃんと親友が傍に居るから・・」


 そう、僕がこうして落ち着いて現状を受け入れているのは、翼の隣にいるであろう誰よりも頼りになる真央の存在があるからだ。
 なぜか、確信があった。彼女は決して、翼を傷つけないし、裏切らない。全身全霊を賭けて、支えてくれるに違いないと。
 でも・・真央自身は?
 結局、あれ以来、彼女と逢う機会に恵まれず、僕は僕で代理した期間の辻褄合わせに必死で、翼同様、真央と連絡を取らないままになってしまっている。


「・・・・・解った。翼の様子が解る人に、連絡とってみる」
「ほんま!?さすが、翔。持つべき者は親友やなぁ!!」
「ちょ・・くっつくな!僕は翼じゃないし、そういう趣味もないから!」
「あ、すまん。つい」


 喜びのあまりか、抱きついてきた大きな身体を押しのけ、僕は手の中の携帯を操作し、久しぶりにそのアドレスへメールを送った。
 うまくすれば、すぐに真央の目に留まり、昼休みの間に返事があるかもしれない。
 しかし、世の中そんなに甘くはなく、夜になってやっと、待ち望んだ携帯が鳴ったのだった。
 けれど、それはメールの着信を知らせるものじゃなくて・・。


「・・もしもし?」
『あたしよ、こんばんわ。メール見たわ』


 受話器越しに真央の声が聞こえ、僕の心臓がトクンと跳ねた。


「あ・・あぁ、まさか、電話してくるとは思わなかった・・。えっと、今、翼は?」
『お風呂に入ってる』
「風呂か・・空夜も今、入浴中だ」


 示し合わせたみたいな偶然に、お互いを繋ぐ赤い糸を垣間みた気がする。


『空夜・・翼の相手ね。当然よ。二人は出逢うべくして出逢った、人生の伴侶だもん。全く・・どうせ、交わるしかない運命なのに、別れようとするなんて、世話が焼けるったらないわ』


 やれやれと肩を竦める様が想像できて、僕は笑った。


「ははっ・・色恋沙汰ってのは、一筋縄じゃ行かないもんだしな。お互いを想えばこそってすれ違いもあるだろ?難しいとこだけど、そういうのを無くして、本当の意味で理解し合わなきゃ。所詮は他人・・を、どこまで信用出来るかに掛かってるんじゃないかな」
『・・・・・あんたでも、マトモなこと言うのね』


 たっぷりの間を置いて言われ、僕は一気に声のトーンを落とす。


「なんだよ、失礼だな。僕にだってそれくらいの思考はあるさ」
『悪い意味で言ったんじゃないわよ。・・うん、あたしも賛同できる。信用は大事よね。翼も彼のこと信用してないわけじゃないと思うけど・・怖いんでしょうね。距離が』
「距離、ねぇ・・逢いに行こうと思えば行ける距離なのになぁ」
『でも・・その問題も、もうすぐ解決すると思う』


 なにかを確信しているような言葉。
 真央の予感は備え持った不可思議な能力のせいか、ほぼ、外れることなく的中する。
 彼女が解決するというなら、良い方向に決着しそうだと言うことか。どういう流れでそうなるのか、一般人である僕に知り得る術はないけど。


『今日、あんたんとこの生徒会長が来たのよ』
「会長って・・甲斐谷先輩?」
『そう、黒髪の長身で、眉目秀麗な人だった。確か、会長を筆頭に三人の側近役員がいて、どれもかっこいいんだって?“美形四天王”って、うちの女子校でも名高いわよ。まぁ、確かにアレは眼の保養になったわ』
「・・ふーん」


 ピクピクと頬が引き攣る。なんか、微妙に気分が悪くなったような・・。
 なんだろ・・。
 なんとも名前のつけられない感情に支配されかけ、僕は慌てて意識を別なところへと向ける。
 
「てかさ、なんでうちの会長が女子校に?まさか、翼に逢いに行った・・わけはないし」
『──噂、知らないの?』
「噂?」


 真央の話によれば、今、僕が通う男子高と真央たちが通う女子高にある大学が経営不振に陥っていて、潰れそうなんだそうだ。
 それならば、と、今時古くさく男女に別れている学校を、大学をも取り込み、いっそ、共学にしてしまおうかという案が上がっているらしい。
 そして、それはただの噂や案で留まらず、現在進行形で話が進んでいるとか。


『主に男子校の会長・・甲斐谷先輩だっけ?ものすごく頑張ってるみたい。翼ともなんか話したみたいだし・・』
「え・・先輩、翼と遭ったの?」
『うん。なにを話したかまでは知らないけど。少なくとも、彼は味方ね。翼を見る目が優しかったもの』


 はぁ・・そんな裏事情は初耳だな。
 もちろん、翼の跡目を譲り受けた僕自身、甲斐谷先輩をはじめ、生徒会の人たちと接触することはあったけど、普通に先輩と後輩の関係で、特別扱いはない。
 もしかして、甲斐谷先輩って翼のこと・・。


『とにかく、詳しい事情は彼に直接訊いた方が確実だわね』


 言われ、あとで訪ねてみようと心に決める。


「じゃあ・・話が付けば、僕たち、一緒の学校に通うことになるわけ?」
『うん。それはほぼ、確実だと思う。多分、一ヶ月後ぐらいには実現するはず』
「つまり、翼と空夜の付き合いに問題はなくなるわけだ」
『そういうこと』


 ことが進展するのは一ヶ月後にはなるけど、とりあえずは一件落着・・なのかな。


『再会して、どうなるか・・あとは本人たち次第ね。あたしらに出来ることといえば・・』
「普通に接すること、だろ?」
『・・ちょっと逢わない間に、随分と物わかりが良くなったじゃない。そうよ。普通が──一番だわ』


 そう告げた彼女の声が、少し力を無くして聞こえたのは、僕の気のせいだろうか。


「・・・」
『・・・』


 なんとなく会話が途切れ、受話器越しの真央の姿を思い浮かべながら、ぼんやり、お兄さんの言葉を思い出す。特異な能力を持つことで、どんな苦悩や葛藤があるか・・か。真央はなにかを悩んで、苦しんでいるのかなぁ?
 思えば、僕は真央に対してロクなことをしてない気がする。泣かせてしまったり、無理をさせて寝込ませたり・・。
 そうだ、僕、真央を泣かせたんだったよね。一応、メールで謝ったけど、それに関して、なにも聞いてないし・・改めて、なにか言った方がいいのかな・・。


「・・あのさ」
『なに?』
「あの・・ごめん、な。病院で・・酷いこと言って」


 思い切って、謝罪の言葉を口にする。
 少しの沈黙の後、深い溜息を吐きながら、彼女が応える。


『・・もぅ、いいよ。あたしも、あんたが迷惑してるの気づかないで、図々しい真似しちゃったし。元々、あたしは厄介者だもん。気にすることないよ』


 諦めきって自分を卑下する口ぶりに、僕の中で激しく沸き上がる感情があった。


「──そんなこと、言うな」
『え?』
「僕のせいでそう思ってるなら、いくらでも謝る。あれは本当に・・ただの軽口のつもりだった。悪かったよ・・だから、二度と、厄介者なんて言うな。お前を大切にしてる人はいっぱいいるだろ?そういう人たちの想いに対して、その発言は失礼だ」


 言い切って、ハッと我に返る。
 僕は今、なにを・・。
 慌てて、電話の向こうの彼女の様子を伺ってみれば、くぐもった呻きのようなものが微かに耳に届いて──。


「・・ごめん・・僕、また傷つけた・・?」
『・・ちが、う・・だいじょぶ』
「でも・・泣いてるんだろ・・?」


 大丈夫じゃないだろ・・明らかに、泣き声じゃん・・。
 どうやら、また泣かせてしまったようで・・ズキズキと胸が痛む。


『・・傷ついたわけじゃ、ないから・・』
「ほんとに・・?」
『うん・・嬉し、かっただけ』


 ぐすぐすと鼻をすすりながら、素直に頷く彼女の姿を想像し・・。
 なんだよ・・可愛いじゃん・・。
 不覚にも僕は、そう思ってしまった。
 
『・・そう、よね。少なくとも、翼や兄貴・・翔は、あたしを厄介者だなんて、思ってない』


 そこに僕の名前が挙ったことは少し意外で、けれど、ちゃんと存在を認められていることが嬉しくて、自分でも驚くほど、優しい声が出る。


「そうだよ。僕たちはみんな、真央が大切だと思ってるんだからな」
『っ・・あ、あり、がと・・。そ、それじゃ、そろそろ・・ま、また』
「?・・ああ、またな」


 冷静を常とする真央にしては酷く慌てた調子で、何度もどもりながら言葉を紡いだ末、性急に電話は切られた。
 なにか僕はおかしなことを言ったんだろうか・・。
 自分の声が、言葉が、いかに物珍しいものだったか・・自覚のない僕は、かなりの時間が経ってから気づいたのだった。
 それ以上に、照れた様子の彼女は物珍しかったのだけど。

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