06. 彼の心と交差する時

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再び、乳白色の湯に浸かりながら、彼女は深く長く息を吐き出し、肩を落とした。

「・・なぜこんな目に・・今日は特大級の厄日?」

 日に二度も風呂に入る羽目になったのも、必要以上に厚着をしたのも、半ば強引に飲まされた初めてのアルコールで大量の汗をかいたのも、全て、隣りの部屋で眠り込んでいる彼──出雲のせい・・。

「まったく・・人の部屋で酔いつぶれるほど飲むなんて・・加減を知りなさい。仮にもアウルム国王という高位な立場の人間が、他国の王族に要らぬ恥を晒してどうするの・・」

 愚痴ってみるものの、現状が変わるはずはなく、それ以上に、突然の訪問を断り切れなかった自分が腹立たしい。

「・・まぁ、ある意味の自業自得・・。もっと気をしっかり持たない、と・・」

 呟いて目を閉じ、少しぬるめのシャワーを一身に浴びた。
 正直、いつ目が覚めるか解らない状況で、裸体を晒す形の風呂に入るなど自殺行為であるのだが・・給仕の口ぶりから察するに、どうやら彼は元来、自発的な目覚めが苦手で、まして大量の酒を飲み酔いつぶれた形の今、早々に起きる可能性は極めて低い。
 実際、『無理に起こすとなんらかの被害を被るかもしれない』との忠告を受けたにも関わらず、マールリアンは彼の名前を大声で呼び、激しく身体を揺すって眠りの深さを量ってみても、無反応だったくらいである。
 絶対的な自信と、安心感の元、完全に気が緩んでいた。
 けれど、それは根拠のない自信であり、もしやの可能性は決して0には成り得ない。
 そう、彼女もまた、正常な判断ができないぐらい、酔いが回っていたのだ。
 だから、その気配に気づくのが一歩遅れた。

「・・よー、マリオン。邪魔するでー」
「!?」

 声が掛かって初めて、自分以外の存在を認識する。
 弾かれたように目を開ければ、隣りの部屋で眠っているはず出雲が、辛うじて腰にタオルを巻いたほぼ全裸という状態で、風呂の入り口に立っていた。
 あまりに唐突かつ危ういシュチュエーションでの対面に、マールリアンの思考は完全に停止する。
 ぬるいお湯が止まない雨のように降り注ぎ、滲んだ視界の中、ぐんぐん近づいてくる自分とは異なる身体・・その形。
 伸ばされた大きな手のひらにシャワーを持つ手を掴まれ、ハッとした。

「っ・・い、出雲!?」

 一気に酔いは吹き飛び、空いているもう片方の手で必至に身体を隠すと、出雲の暴挙から逃れようと手首を捻る。
 が、剣豪王と名高い彼の束縛はちょっとやそっとの力では微動だにせず、マールリアンは泣きたくなった。
 見目も明らかな裸体を見られては、もぅ、女であるとバレてしまっただろう。なにより、自分と年の変わらない異性に生まれたままの姿を見られるなど・・計り知れない羞恥に苛まれ、脳が沸騰しそうだ。
 そんな彼女に対し、目の前の男はどこまでも飄々としており、涼しい表情。
 それがまた自尊心を傷付けられる。

 ・・いくら並程度の容姿だとしても・・この反応はあんまりでは?一応は妙齢の女だというのに・・そんなにも私は対象外、なの?

 ショックと悔しさに涙さえ滲みはじめたマールリアンに対し、出雲の口から飛び出たのは予想だにしない言葉。

「・・オイオイ、なんちゅう表情しとるんや。そない恥ずかしがって隠すことあらへんやろ?同じ男同士、ついとるもん一緒なんやし」
「・・・・・は?・・あ、あの・・まだ、私は男に、見えますか・・?」
「は?なに言うとるん。どこからどうみても・・残念なことに男の身体やんか。見慣れた同じモノぶら下げて・・と、まぁ、俺のんがだーいぶ大きいけどな。あれやったら、拝ませたろか?」
「っ・・い、いえ!その・・み、見慣れたモノですし・・け、結構です!!」
「ははは!どうせやったら、うら若い女の身体、拝みたいとこやんな」

 彼の口ぶりから導き出される答えは・・女だとバレていない、らしい。
 おそらくは指輪の効果が持続していて、出雲の目に移る自分の姿は、ちゃんと男の身体に見えているのだろう。

 そういう・・理由か。

 ホッとして肩から力が抜けた途端、酔いがぶり返したのか、足下がおぼつかなくなる。もつれて倒れそうになったところを、突き出された二の腕に支えられた。
 抱きしめられているかのような体勢で直に触れ合う素肌。より近い距離から覗き込んでくる紅は妙に艶っぽく色めいて見え、マールリアンの鼓動が跳ね上がる。

「・・はぁ、全く・・危ないなぁ。酔い回っとるのに風呂入るやなんて・・無茶しよる。変な倒れ方して頭でも打ったら大事やろが」
「・・・・・す、すみません・・あ、あの・・とりあえず、放して下さい・・」
「んー・・そら、できへん相談やな」
「な、なぜです!?」
「もぅ、キミ、マトモに立てへんもん」
「そんなはずは・・あ、あれ?」

 出雲の言葉に反する意味で足に力を込めてみたが、まるで麻痺してしまったかのように力が入らない。
 彼の支えでどうにか、地に足をついている感じだ。

「さっきのアレ、酒豪好みの最高度数っちゅう代物なんや。初めて飲むには強過ぎるん。意識は精神力の強さでどうにか保てたみたいやけど、身体はもぅあかん」
「そ、そんな・・では、私はどうしたら・・」
「まぁ、酒を勧めたこっちに非があるのんは明らかやし・・責任はとる」
「責任って・・え?ちょ・・な、なにをっ!?」

 幾分か真顔になると、言うが早いか、マールリアンを抱え上げたまま、乳白色の湯の中へ身を沈めてしまう。
 これでは湯の熱気に当てられ、ますます酔いが回るだけで・・出雲の行動は、責任とはほど遠く、追い打ちを掛けているとしか思えなかった。
 抗議の意味を込めて束縛を振りほどこうにも、屈強な二の腕はびくともせず、彼女の腰を捉えて放さない。
 しばらく悪戦苦闘した後、それが無駄な抵抗であることをようやく悟ったマールリアンは、すっかり疲れきってしまい、目の前の広い肩にぼんやりした頭を預け、目を閉じる。

「・・なぜ、こんな・・こと、を・・」
「大丈夫やから、俺を信じて」
「いず・・も・・」
「・・なにもせぇへんよ・・今は、まだ・・な」

 耳に吹き込まれる艶めいた声。
 唇にそっと触れた温かな感触を最後に、彼女は意識を手放した。



「んっ・・?」

 ふと、目を覚ますと、いつもと同じようにふかふかの布団に包まって寝ている。
 いつの間に寝たんだろう・・などと、ぼんやり思いながら身を起こそうとして・・。

「ぃっ!・・痛ぅ・・ぅう・・」

 激しい頭痛に見舞われる。体は気怠く、決して爽やかな目覚めとはいかない朝。
 なんとか半身を起こし、頭痛や体の不調に耐えながら、原因を探ってみる。
 正直、失態のオンパレードとしか言い様がない一日であったのは確実で、記憶を辿るのも憂鬱ではあるが、それ以上に、自分の状態が不可解だった。

 昨日は・・出雲と町へ出掛けて、剣を買って貰って、昼食を食べて・・戻ってから夕食も──。

 思い出しながら指折り数え、動きが止まる。

 夕食・・そうだ。初めて酒というものを口にし、酔いつぶれた出雲が部屋に居るにも関わらず、酔った勢いでお風呂に入って──。

 一気に血の気が引く。
 風呂場で彼と一悶着あったあとの記憶が・・ない。
 辺りを見回すが、すでに彼の姿はなかった。
 幸い、変化の魔術が効いていたため、彼の目には自分と同じ見慣れた男の裸にしか見えず、貞操の心配はなさそうだが・・。

「・・きちんと部屋着を身につけているということは、風呂で気を失った私を運び出した上、着替えまでしてくれたということ、よね・・」

 身に憶えがまったくないだけに、仮定は十中八九当たっているに違いない。
 どう考えても最悪の大失態である。

「はぁ・・なんてこと・・」

 酒の後遺症のせいばかりではなく、頭が痛くなった。
 出雲に逢ったら、とにかく、昨晩の非礼を詫びなければ・・。
 マールリアンが謝罪を決めたのと同時に、部屋の扉が叩かれる。
 いつもと同じタイミングで運ばれてくる、朝食の時間だ。
 慌ててベッドから抜け出し、身なりを整えて出迎える。
 そこには、逢わなければならないけれど、出来ればもうすこし間を置いて、しっかり心の準備をしてから顔を合わせたかった人物の姿があった。

「おはようさん、マリオン。昨日の今日で悪いんやけど・・朝飯一緒してもええ?」
「・・出雲・・お早う御座います・・あの・・」
「ちょ、取り急いで内密に相談したいことあるんや」

 幾分か焦った風に言い募る彼を前にしては、昨日の失態の負い目もあり、とても断れる雰囲気ではない。

「・・どうぞ」

 短く了承すると、昨晩と同じ形で朝食がセットされ、あっさりと二人きりにされてしまった。

「まぁ、とりあえず・・食べながら話そか」
「・・戴きます」

 二度在ることは三度在る・・との言葉通り、気まずく向かい合った彼女は、ぎこちなく食事に手をつけ始める。
 いい加減、ゆっくり味わいながら食事を楽しみたい。と思いながらも、こうなってしまっては仕方が無いと、意を決して口を開いた。

「・・出雲。昨晩は、その・・ご迷惑をおかけしてすみませんでした」
「──マリオンは昨日のこと、全部覚えてるん?」
「いえ・・湯あたりして気を失った後の記憶はさっぱりです・・。出雲の読み通り、実のところ、あれが初めての飲酒でした。見栄を張った上、お手数までおかけして・・本当に申し訳在りません」
「・・・・いや。俺も少し飲み過ぎてしもて、マリオンに悪いことしてもうたからな。お互い様いうことで、この話は水に流そ」
「・・ありがとう、出雲」

 別段、怒ってる様子もなく言われ、ホッとする。
 ようやく、心の荷が降りたマールリアンは、少しだけ気分がすっきりしたせいかフォークを握る手も軽く、食事を再開した。
 しかし、この後に聞かされる出雲の話で、その気分は長続きしないことになる。

「ところで・・内密に相談とは、なんですか?」
「ああ・・せやった。実はな、ちょっと厄介な事態になって・・助けて欲しいんやけど」
「厄介な事態?私で助けになるんでしたら、幾らでも手を貸しますが・・一体、なにをすればいいんですか?」
「俺の・・婚約者になってほしい」
「婚・・約・・はぁっ!?」

 サラリと口にした単語を耳に、マールリアンは手を止めた。
 なにを言い出すかと思えば・・冗談にしては笑えないし、頼み事としては無謀過ぎる。
 驚きすぎて、言葉を失っている彼女を前に、出雲は落ち着き払った様子で話を続けた。

「・・ 昨日、町に出掛けたやろ。その様子をある厄介な奴に見られてもうて、付き合うとる相手やと誤解されてな。その女はだいぶ前から、しつこく俺に言い寄ってき てて・・。まぁ、俺にはその気全くあらへんし、すっぱり断り続けてるんやけど、そいつが言うには『懇意にしている人が他にいるのなら会わせて欲しい。その 人が自分が認めるに値する者でないなら、とても諦められない』と。俺もほとほと、困っとるんよ」
「つ、付き合ってるって・・つまり、私と、ですか・・」
「多分、デザート食べているときやないかなぁ。普通、男同士で食べるものやないし、俺が嫌いなのも知ってるから、特別な相手なんやろって」
「えぇ?ですが、あれはコース料理に含まれたものだっただけで・・」
「そんなん、遠目やし分からへんよ。まして、あーんなに嬉しそうにパクパク食べとったら、そら勘違いもするわな」
「そんな・・」

 数えきれない失態を演じた末に、後日談でまで災難が降り掛かろうとは・・さすがの彼女も予想だに出来ず、ただただ茫然としてしまう。

「あっちの言い分は、とっても自分勝手ではた迷惑やと分かっとるんやけど・・俺もいい加減、決着つけなあかんと思うとったし、これを逆手にはっきり断ろうと、な。せやから、頼む!協力してくれ」
「い、いや。協力と言われても、私は男ですし、無理です!バレます!」

 これ以上の厄介事はごめんとばかりに、首を振る。

「・・マリオンには双子の妹、マールリアンがおるやろ」
「え・・あ、はぁ・・」
「エルが言うとった。『あいつもイイ年だし、浮いた話の一つや二つないと、女としての将来が心配だ』ってな。キミもそう思わん?」
「まぁ・・そう、ですね」

 曖昧に頷きながら、母国にいるであろう兄の顔を思い浮かべ、余計なお世話だと舌打ちしたい気分になった。
 彼が自分に関しての情報をどんな形であれ持っている以上、兄と同じような思考で話を進めなくてはならない。
 これはとんでもなく、自分に不利な状況だ。
 そして、その予感は的中する。

「俺の記憶が確かやったら、魔術の一種に、変化の術いうのんがあるよな?その術を使うて、婚約者いう名目で──妹さんのフリ、してくれへんか」
「し、しかし・・」
「まぁ、女を演じるやなんて戸惑う気持ちは分かるけど、頼れるのんはキミしかおらへん。第一・・マリオンには貸しがあるやろ」
「貸しって・・あの剣のことですか!?でしたら、今すぐお返ししますっ」
「恩は別の形で返す言うたよな。それこそ、男やったら二言はないはずや」
「っ・・」

 確信犯の笑みを浮かべ、そう言う彼にはもはや、どんな断りの言葉も受け入れては貰えないだろう。
 マールリアンは絶望的な気持ちで項垂れると同時に、頷いたのだった。



「・・お見事。瓜二つのそっくりさんやな」
「恐れ入ります・・」

 すっかり『双子の妹マールリアン』の姿になった彼女を見て、出雲が感嘆の声を上げる。

 彼女にしてみれば、変化効果のある指輪を外し、本来の自分になっただけ──多少、めかしこんではいるものの──なのだから、褒められても複雑な気分だった。

「着物もよう似合っとる」
「・・まさか、アウルム国の正装まで用意していたとは・・驚きましたよ・・」

 更に、兄以外の男性からの初めてのプレゼントが女装のための服──しかも、大層、仕立ての良い凝った代物──というのが、ある種の悲しさを誘い、モチベーションが上がらない。

 どんなに着飾ってみても、所詮、中身は『私』だし・・。

 まして、女の姿に戻ったと言っても、自国において兄の秘書というポジションにあったマールリアンは、およそ姫らしい振る舞いなどしたことがない。
 果たして、自分が演じる婚約者で出雲が望むような結果を得られるのか、甚だ疑問だった。
 考えれば考えるほど、どんどん気が重くなり、目線が足下へと落ちてゆく。

「──マリア」

 不意に親しみ深い愛称で呼ばれ、驚いて顔を上げた。

「いつも通りのキミでおったら、絶対、大丈夫やから」

 励ましというにはあまりに根拠のない楽観的なもので、沈んだ気持ちが苛立ちへと変わる。

「・・ 無責任なことを・・大丈夫なはずがないでしょう?。付け焼き刃で見てくれはそれなりにできても、備え持った物腰というものは早々、変えられるものじゃない んです。相手の方を認めさせるほどの立派な淑女を演じられなければ、出雲の望む通りにはならないというのに・・私に掛かる重圧がどれほどのものか、分かっ てるんですか?」
「もちろん、承知の上で言うとるけど?ほら、無理して演じて墓穴掘るのんは、目に見えてるしな。それこそ、一縷の望みもなくなるわ」
「うっ・・」

 半ば八つ当たり的な彼女の言い分は、起こりうる失態を予見され、無情に切り捨てられた。
 先ほどの勢いはどこへやら・・一気に萎れ、投げやりな気分になる。
 
「──本当に、いつも通りでいいんですね?どうなっても知りませんよ!」
「男に二言はあらへん」

 いつもの私で、うまく行くはずなどないのに・・。

 マールリアンに彼の心は、ほとんど読めないと言っていい。
 だが、それでも、確信めいた表情と、見つめてくる瞳には揺るぎない光が宿っていて、なぜか信じてしまいたくなるから不思議だ。
 なにより、側に居てくれるだけで心強く思えるのは、自惚れではなく、出雲が自分を信頼してくれているのが解るから・・。

 ・・つくづく、出雲の押しに弱いんだ・・私。

 人の善さを軽く嘆きながらも、彼女の表情は明るかった。
 彼女自身、自国で会っていた時とは全く見る目の質が変わっていることに、まだ気づいていない。
 彼という人間の上辺でなく、内面を見るようになっていることがどういう意味を持つのか・・皮肉なことに、婚約者という立場を演じることで気づくのであった。

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