06. 同じスピードで
病院のベッドとは違う、温かな身内の香りに包まれて、僕は眠っていた。
誰かが、肩を揺すっている。ゆっくり浮上する意識。
「・・翼、そろそろ起きへんと、学校遅刻してまうよ。せやけど・・身体辛いんやったら、休む?」
聞き覚えのある声が、そう僕に声を掛けて来る。
「男は平気やけど、女の子の初めては痛いだけやもんな・・無理せんでええから」
僕の反応を待たずに言い連ねる彼の言葉が引っ掛かった。
身体が辛い・・女の子の・・初めて?つか、僕のこと、“翼”って・・。
その可能性に、一瞬にして目が覚めた。バネ仕掛けの人形のように勢い良く起き上がった僕は、心配気に覗き込むそいつの胸倉を掴む。
「おい、お前!翼に・・なにしたんだよ!!」
「へ?あれ・・翼じゃ・・な、い・・?もしかして、本物の“翔”?」
「・・ああ。僕が正真正銘、椋本翔だ」
「・・ほんまや。胸ない・・」
大きな手のひらを僕の胸板に当て、膨らみがないことを実感したのか、目の前の男は半ば呆然と呟いた。
つか、その確かめ方ってどうなんだよ・・。
「いつの間に・・入れ替わったん・・?翼は・・実家に帰ったんか・・」
「昨晩に・・てか、僕の質問に答えてない。お前、僕らが入れ替わってたこと、知ってたのか?翼に、妙なことしたんじゃないだろうな」
「・・“お前”やない。俺の名は小笠原空夜(おがさわらくうや)や。同室やし、これから付き合い長うなるんやから・・姉弟共々、仲良うしてや」
「姉弟共々・・?」
意味深な言い回しに、僕は眉を顰めて彼──小笠原空夜を見つめた。
やんわりと微笑む顔は不敵で、なのに、どこか翳りが見え、寂し気。矛盾が垣間見えるその理由は、やはり、僕の双子の姉にあるのだろうか。
「仲良くして欲しいなら、あったこと全部、包み隠さず話してもらおうか」
「・・そのつもりや。俺も色々、思うとこあるしな・・腹割って話そ」
「望むところだ」
そして、僕は翼がここでどんな風に過ごして来たのか、ルームメイトである目の前の彼となにがあったのか、一部始終を知ることになる。
僕が考えていた以上に、本当に色々なことがあったようで・・けれど、翼は一言もそれを明かしてくれなかった。怪我をして入院している弟に、余計な心配を掛けたくなかった、という理由ではないだろう。
『・・翼があたしを望まなかったから』
ふと、脳裏に鮮明に蘇る彼女の言葉。
ああ・・そういうことなんだ。
同じ血を分けた肉親で、半身たる双子でも、僕たちは別の人間。翼には翼の世界があり、その全てに僕が存在し、関わることなどできはしない。
寂しいけど、それが現実なんだ・・。
僕は今になって、真央の気持ちが解ったような気がした。
そして、それは僕はもちろん、真央にも当て嵌まることで・・。真央の世界に僕はどの程度存在し、関わることができているのだろう?
『真央にとって、椋本くんは良い意味で特別だから──大丈夫』
彼女の身内からある意味のお墨付きは貰ってるけど、それだって、所詮は第三者の言葉。本人の意思は不明瞭なんだ。
では、僕の意思は・・?
僕は真央を望んでいる?
僕は真央を特別だと思っている?
僕にとって、真央はどの程度の存在なのだろう・・。
「そないなわけやから・・翼の連絡先、教えて欲しいんやけど」
「え?」
言われ、慌てて現実へ目を向ける。
恐いくらいに真摯な瞳をした真剣な表情とぶつかり、僕はコクンと喉を鳴らした。
「連絡先って・・携帯ぐらい知ってるだろ?まして、一線越えた仲ならなおさら・・」
「──翼、携帯に出ぇへん。メールも送っとるけど、反応ない」
そういえば・・話しながらしきりに携帯弄ってたような。
ちょっと失礼じゃないか?と気分悪くも思ったけど、纏うオーラが剣呑としていて、“君子危うきに近寄らず”の通り、あえてスルーしてたが・・なるほど。必死に翼と連絡取ろうとしてたわけだ。
それにしても・・と思う。
「・・ねぇ、お前──小笠原はさ、翼になにしたんだよ。嫌がることでもしたんじゃない?」
「嫌がることなんて・・」
言いかけて、思い当たる節があったのか、彼は眉間に皺を寄せると、押し黙る。
「・・やっぱり、相当、痛かったんかな・・翼の、めっちゃ狭かった・・」
「は?」
「俺はもの凄い気持ち良かったんやけど、ほら、初めてって女の子は痛いだけやろ?一応、気遣って、セーブしたつもりなんやけど・・最後はもぅ、本能のままに──」
「あー・・やめてくれ。そっちの話は・・興味ないから」
色濃い事情を口にされ、僕はあからさまに耳を塞ぎ、聞くことを拒否した。
僕にだって、知識として男と女の間にある行為がどういうものかぐらい解るし、好き合っている同士が合意の上でしたことにまで首を突っ込むつもりはない。
まして、翼の性格を考えれば・・初めてのことが辛かったから、目の前の男が嫌いになったなんて有り得ない。双子の姉は無垢で一途で、とても情愛が深い善い子だ。
相手を想い過ぎて退くことはあっても・・ああ、そうか、そういうことか。
血の繋がりというものは、ときにとても鋭く相手の思惑を理解できる利点がある。
僕の中で、翼の行動と思考の謎が一気に解明された。
全く・・こんな短い期間で、それほどまでに目の前の男を好きになるなんて・・まして、一晩の関係でも構わないと自らを差し出すほどに、翼の想いは深く大きい。
果たして、それに見合うだけの想いを小笠原が持っているのかどうか・・。
「・・そんな無理させたんじゃ、嫌われたのかもね。顔も合わせたくないほど、携帯も無視るほどじゃ、もう諦めるしかないんじゃない?」
「嫌や」
「嫌って言ってもなぁ。恋愛って片方の気持ちだけでするもんじゃないだろ。翼のためを思うなら・・男らしく身を退いてやるのも、優しさってもんだよ」
「俺は半端な気持ちで翼を望んでるわけやない。傷つけてもうたんやったら、癒せばいい。翼を諦めるなんて選択肢は、俺の中にあらへん」
迷いのない想いは、おそらく、同じ。
これ以上の答えがあるだろうか。
二人の仲は・・本物なんだ。
「・・はぁ・・もぅ、すっごい複雑・・。翼は小笠原を嫌ったりしてないよ。むしろ、好きで好きで仕方ないから、黙って僕と入れ替わって、去ったんだと思う」
「好きやのに・・なんで?」
「男子校に通う小笠原と、女子校に通う翼じゃ、距離があるだろ。常に一緒に居られないことが、翼には耐え難く思えたんじゃない?たまに逢うだけじゃ、満足いかないってかさー」
「それって・・」
憮然としてた顔が、期待を込めて綻ぶ。
軽くムカつくんだけど・・翼は好きなんだよな、コイツのこと・・。
不本意ながら、僕はの事実を口にした。
「翼に滅茶苦茶愛されてるってことだろ」
「そう、なんや・・」
ホッとしたように笑う小笠原の表情といったら・・至上の幸福を一身に浴びてますってぐらい、嬉しそうだ。
くっそー・・やっぱ、ムカつく。翼には翼の世界があるのは解るけど、まだ、僕は完全にその舞台から降りたわけじゃない。血の繋がりを舐めてもらっては困る。切っても切れない縁がそこにはあるんだ。
世界は二人のために在るなんて、十年早いよ。
「・・でもさ、翼はもぅ、割り切ったのかもしれないね」
「え・・」
「連絡一切、拒んでるあたり、もぅ二度と逢うつもりはないってことじゃん。つまり、この状態は破局だよね」
すました顔で言い、にっこり笑ってやった。
どこか恨みがまし気に僕を見る小笠原の表情が、みるみる青くなる。
「お前・・翼とそっくりな顔で、そないなこと言うやなんて、悪魔か・・」
「僕は事実を言ったまでだ」
「あぁ、もぅ、どないしよ。翼・・頼むから、電話、出てくれ」
何度もリダイヤルする様を目の当たりに、さすがに言い過ぎた気がして、僕も携帯を取り出した。
「連絡、取ってあげるよ。僕なら、翼も出ると思うし」
「すまん。頼む・・」
けれど、僕の予測は見事に外れる。
翼は小笠原はもちろん、僕の呼びかけにも応じることなく、ついには『この番号は現在使われておりません』のアナウンスを戴くハメにまで陥ってしまう。
僕らは情けなくも途方に暮れ、なんの因果か、同じ苦い気持ちを分かち合う同志として、変な友情が芽生えてしまった。
声を大にしては決して言えないけど、僕にとって、小笠原・・空夜は、本当の意味での初めての友と言える。
上辺の頭の良さだけが目的で付き合ってきた、今までの同級生とは違い、彼はちゃんと僕の内面を見てくれた。おかげで気を遣い過ぎて疲れたり嫌な気分になったりせず、なにより素のままで居られることが嬉しかったんだ。
唯一の例外を除いて、だけど。