03.砂糖菓子のような笑顔
頭が重い・・腰が痛い。
「・・ん・・」
目を開ける。
柔らかな陽光に照らされた明るい天井が、視界に広がった。
見慣れたそれは、確かに自分の部屋のもので・・あれ?私、シャワーを浴びてたはずなのに・・。
曖昧な記憶を探りつつ、とにかく、身を起こす。
「痛っ・・」
途端、鈍い痛みが頭と腰を襲った。
「なん・・ぇ・・!?」
自分の姿と、置かれた状況に唖然となってしまう。布団を掛けて、ちゃんとベッドで寝ているものの、身につけているモノがバスタオル一枚ってどういうこと?
しかも・・ある意味、まるで作られたドラマみたいにお決まりな光景が広がっているじゃないの。
そう、あられもない姿の自分の隣に、男の人が寝ているという。
「・・要、さん・・よね・・?」
眼鏡を外した寝顔も、それはそれは端正で、目の前の彼が甘やかな存在であったなら笑顔で見守ってしまうところ、今の私はといえば、真逆の表情で呆然とそれを見つめた。
ど、ど、ど・・どういう・・私、たち、ナニを・・?
──思い出せ、よーく思い出してみよう。
昨晩の突然の訪問から、兄とのやりとりを経て、ルームシェアすることになって・・これから宜しくの意味も込めて晩酌して・・心地の酔い酒の席だった。
で、二人して寝入っちゃったみたいで、気づいたら朝になっていて・・私は昨日、お風呂に入っていなかったのよ。
だから・・要さんが目を覚ます前に浴びてしまおうと、酒気の残るふわふわした感覚のまま、入って・・入って・・?
「・・どうしたんだっけ・・お風呂から上がって、着替えた記憶がない・・」
「──ええ。ちゃんと上がってないし、着替えてもいませんからね」
「っ!?」
真横から掛かったハスキーヴォイスに、ビクリと身を震わせて固まる。
ギギギと油の切れかかったロボットのごとく、ぎこちない動作で声の主を仰ぎ見れば、いつの間に目覚めたのか、半身を起こしている彼。
「おはようございます、しずちゃん」
「お、お、おは・・?」
「気分は・・どうです?身体、辛かったりしませんか・・?」
心配気に覗き込んでくる視線は、私への真摯な気遣いが感じられたものの、その発言にギョッとしてしまう。
頭の痛みの理由は解る。きっと二日酔い。
けれど、この腰の痛みは・・身体、辛くないかって、それはつまり、アレですか・・?
「無理させましたよね・・すみません。もっと、早くに気づいてあげるべきでした。血は出てなかったと思うんですが・・」
やっぱり、私たち・・一線を越えてしまったんだ・・。
決定打とも思える言葉を耳に、サァァっと血の気が退いた。
・・こんなのってない。
そりゃ、知り合って間もないのに、全面的に信用してしまったこちらがまず、甘かったんだろうし、お互い酔った勢いでそういう流れになったのだとしたら、非は平等。
だからって、割り切れることと割り切れないことが、世の中にはある。
別に後生大事に護ってきたわけでないにしろ、記念すべき初めての体験を全く覚えていないなんて・・悲し過ぎる。
胸の内を埋め尽くした苦い想いは、そのまま形となって私の目から溢れ出た。
「し、しずちゃん!?そんなに・・痛みます?打ち所悪かったんですかね・・病院連れて行きましょうか?」
「・・・」
「・・本当に申し訳ないです。こんなことになってしまって・・」
情事の相手に泣かれ、要さんは狼狽えた声で気遣ってくれる。
そんな好意すら、罪悪感から来ているんじゃないかと思うと、余計に惨めな気持ちになった。
「・・だい、じょぶ。・・寝てれば、おさまります・・たぶん・・」
破瓜の痛みで病院に駆け込むなんて、聞いたことがない。どう考えても一時的なもので、間を置けば治まるだろう。
幸いにも今日は土曜日。週末の休日おとなしく身体を休めれば、月曜には支障なく仕事に行けるはずだ。
「ですが・・」
「──とにかく、服、着たいんで・・出て行って・・もらえ、ません?私、バスタオル一枚なんですけど・・」
ぐしぐしと涙を拭いつつ、軽く睨みつける。
「あ・・。すみません・・さすがに服までは着せられなくて・・僕も男ですし」
明確に今の状況を言葉にすると、彼は気まずそうな表情になり、慌ててベッドから降りた。
てか、謝って後悔するぐらいならこんなことしなきゃいいのに・・。
なにより、良識ある大人なら、事後の影響とか支障とか考えられるでしょうに。要さんがこんなに安っぽい人間だったなんて、がっかりだ。
目の前の人を、もぅ、信用なんてできない。
「でも・・しずちゃんも悪いんですよ?こうなったのは、ある意味、自業自得だってこと、ちゃんと思い知って、これからは十分に気をつけなさい」
責める言葉と諭す言葉に、我が耳を疑う。
──ええ、最大の落ち度は私にあるのかもしれない。兄の親友だからと、安易に他人を信用してしまったことは、浅はかだった。
けれど、その言い草はあんまりに・・卑怯だ。
理不尽すぎる彼の言葉の数々に、怒りが込み上げて来る。
「・・つまり、隙のある女はなにされても文句言えない・・そういうことですか?」
「いえ、隙というより、自己管理の問題だと思いますが・・。なにか・・怒ってます?僕はそんなに気分を害するおかしなことを言いましたか・・?」
「・・要さんの中では正当化されることなんでしょうけど、私は自己管理のなっていない甘い思考の人間ですから、納得できません」
「正当化・・万人に訊ねたら、きっと半数以上が僕に賛同してくれると思いますが・・。誰の目からも、しずちゃんの行動は危険過ぎます。普通に考えてみて下さい。おかしいでしょう?だって──」
どこまでも平行線。自覚がないのだから当然と言えば当然で、けれど、どの発言も私を苛立たせるだけで・・ああ、もぅ!こうなったら、はっきり言ってやる!!
スゥッと深く息を吸い込み、胸の内の不満を一気に吐き出す勢いで、口を開いた。
「本人の意思を無視して、意識のない女の貞操を奪ったことに賛同?それこそ、有り得ない・・あってはならないことでしょう!?誰の目から見ても、危険なのは要さんの思考で、普通じゃないのもあなたです!!」
「酔っぱらった状態でお風呂入るなんて、目回して当たり前です。倒れた音に気づいて、不躾に割り入って運び出したのは悪かったけど、気づかずそのままだったら、風邪どころじゃすまない状態になって──」
「「・・は?」」
同時に吐き出したお互いの言葉を耳に、怪訝顔。
「私、お風呂で・・倒れたんですか?でも、運び出したあと・・したんでしょ?」
「・・本人を無視して、意識のない女性の貞操を奪ったって・・なんのことです?」
またもや同時に言い合う。
「「・・・」」
噛み合っていない会話上で浮かび上がった疑問符に、私も要さんも難しい表情で押し黙った。
微妙に・・論点がずれてる?
「──どうも、今朝方起こったことについて、それぞれの理解が一致していないみたいですね。しずちゃんは・・僕になにかされたと思ってるんですか?」
至極冷静に問う声は、怒ってる風でも責める風でもなく、純粋な興味が伺えて、私は素直に頷き、胸の内の疑問符を彼にぶつけた。
「初めてを戴かれちゃったのかと・・だって、要さん。無理させたとか、血は出てなかったとか、それっぽいこと言うし、なにより・・腰痛い」
「・・ああ、なるほど。僕は随分と誤解される言い回しをしてしまったわけですね。道理で・・参ったな」
大きな溜息を吐き、要さんは困ったように苦く笑う。
「え えと・・無理させたと言ったのは、昨晩、僕がお風呂を戴いたばかりにきみが入り損ね、朝方、酒気の残った身体で入るはめになり、そのせいで倒れる事態を引 き起こして申し訳なかった、と思いまして。血がどうのというのは、倒れた時にどうやら腰を打ったみたいで・・内出血起こしてたものの、傷は負ってなかった から、一応は大丈夫だと判断したんです。最も・・結構、際どい位置だからじっくり見た訳じゃないし、僕には痛みの程度が解りません。だから、泣くほど酷い 打ち身なら、病院に行こうと言ったんですよ」
「・・・・・じゃあ、してないの?」
「生憎、意識のない女性の貞操を奪う趣味はありません。そういう行為は、お互いの意識がはっきりしている時にしてこそ、肉体的にも精神的にも満たされるものでしょう?」
「はぁ・・」
同意を求められましても、そういう経験のない私には解りかねます・・。
ただ、自分の意識がないまま貞操を失った事実はないようで・・心底、安堵した。
と同時に、目の前の彼に対して、とんでもない誤解をし、一方的に失礼な言動と態度をとってしまった現実に突き当たる。
別の意味で血の気が退き、次いで、カーッと頬に熱が灯った。
私・・なんてことを・・。
穴があったら入りたい・・むしろ、この場に穴を掘って姿が見えなくなるよう、埋まってしまい・・。
「そういうわけで・・僕に対する誤解は解けましたか?」
「・・はい・・それはもぅ・・綺麗に」
「では、僕は無罪放免ですね」
にっこりと穏やかに微笑まれ、罪悪感にチクリと胸が痛んだ。
いっそ、なじって責めて怒ってくれた方が気が楽なのに・・大人の余裕、格の違いを見せつけられた感。
なにがあっても、この人はきっと信じられる・・唯一の肉親である兄と同じく、信じていい存在であると、第六感が告げる。
それならば・・今後の、より良い関係を保つためにも、変なしこりの残らないきちんとした詫びを入れなければ・・。使命感のようなものが沸き立つ。
「・・いえ、私の誤解は重罪です」
「しずちゃん?」
「だって私・・要さんに強姦の容疑を掛けたことになるんですよ?見損なうな!って、怒鳴ってくれていいです」
「強姦って・・僕は別に怒ってませんよ。誤解される言い方をした自分が悪いんです」
「い いえ!要さんは悪くないんです。そうよ・・よくよく考えたら、危ないところを助けて貰ったわけだし・・お礼とお詫びを兼ねて、私にできることがあれば申し 付けて下さい。それで・・ちょっと都合いいかもしれませんが、今回のことは水に流して戴けると嬉しいかも。以降は協力し合う、気さくに仲の良いルームシェ ア相手ということで・・どうです?」
「うーん・・」
関係修復のために打ち出した提案に対し、彼はひたすらに困った表情をした。
そんなに深刻に悩むことないのに・・。
「遠慮はいりませんよ?要さんがして欲しいこと、なんでもいいから、私に頼んで下さればいいんです」
「そう言われても・・」
「したいことがあればお手伝いしますし・・あ、こう見えて、体力にも自信ありますから、力仕事もいけます」
グッと拳を握ってアピールする。
こうなったら、なにがなんでも要さんの望みを叶えてやるのよ。
意気込む私を見つめる目が、フッと細まる。
「・・本当に、なんでもいいんですか?例えば・・少し、痛い思いとかでも、受け入れてもらえます?」
意味深な問い掛け。
い、痛い思い?要さん、私を叩きたいのかな・・実は、相当に怒ってたりして。
一見しては柔和な雰囲気で穏やかなだけに、程度の解らない未知数な怒りを肌で感じ、内心で冷や汗が出る。
ここで怖じ気づいて、『痛いのは嫌です』と言えるはずもなく・・私はビクビクしつつも頷いた。
「それで、要さんの気が済むなら・・が、我慢します」
「我慢・・ですか。そうですよね・・どうやら、初めてみたいですし。泣かせちゃいますよね。やはり・・」
「・・ええ、(男の人に面と向かってぶん殴られるのは)初めての体験ですね。まぁ・・耐えられますよ。子供じゃないんだから」
「──いや、大人でもかなり痛いと思いますよ。男の僕には解らないけど、そういうものらしいから・・」
「もしや・・かなり、本気モードですか?」
「・・ですね。僕もこんな短期間で、これほど気持ちが高ぶるとは思ってなかったのですが・・」
うぅ・・いい大人が、叩かれたぐらいで泣き叫んだりしないって思ったけど、これはひょっとしなくても相当にご立腹なようで・・。
手加減なく、男の人に殴られたら、そりゃ耐えられずに泣いちゃうほど痛いのは目に見えて明らかで・・ さすがに勘弁して欲しいですよ?要さん。
予想していなかった怒り具合を知り、血の気が退くとともに、冷や汗が背中を伝う。
「しずちゃん・・いい?」
いつの間にか、間近に寄った顔に覗き込まれ、大きな手に剥き出しの肩を掴まれ、危機感と畏れはピークに達する。
恥や外聞を気にする余裕なんてなくて、ただ、子供みたいにぶんぶんと激しく首を横に振った。
「ご、ごめんなさい!やっぱり・・痛いのは、嫌です」
言い切って、ギュッと目を瞑る。
自分からの提案を簡単に翻した後ろめたさ、なにより、拒んだことで次に彼がどう行動するかが怖かった。
しん、と静まり返る室内。
ここは、間を置いて冷静になって戴く方が身のためと思ったけど・・これは逆効果かもしれない。沈黙がやたらと恐ろしく感じてしまう。
と、彼が小さく嘆息する気配。
「・・そうですね。なし崩しでは意味がありませんし、なにより・・きみが怪我人であったことを失念していました。僕の方こそすみません・・」
優しい・・穏やかな声だった。
おそるおそる目を開いた先にあった要さんの表情も、やっぱり優しくて、少し悲し気に眉を寄せているけれど、決して、怒っている感じではない。
これは・・私を殴る気なんて、ない、わね。
ホッと安堵したのも束の間、それじゃあ、彼は私になにを望んだのだろう?
はて?と心の内で首を傾げていると、肩を掴んでいた手が頬を包み込み、彼の顔が更に距離を縮めて近づいた。
「で すから・・貸し一つは、きみが万全な状態になって、痛みに耐えうる感情を僕に対して抱いて下さったら、確かな形で返してもらうことにします。──ただ、貸 しには利子が付くものですよね?まして、気の長い話になる可能性もありますし、それだけは、戴くことにします。宜しいでしょうか?」
「は・・はぁ・・」
一気に捲し立てられ、言葉の意味が解らないながらも頷く。
そして・・とても嬉しそうに、艶やかに微笑んだ顔との距離が──ゼロになった。
呼吸が止まり、瞬きするのも忘れ、ただ、その一瞬の接触を体感する。
触れただけで、すぐに離れた唇の熱。
呆然と見上げると、レンズ越しではない濡れた裸眼に射抜かれて──。
「きみが好きです。だから、しずちゃんも僕を好きになってください。ルームメイトではなく、恋人同士に・・僕はなりたい」
砂糖菓子のような笑顔を満面に浮かべながら、突拍子もない告白と、とんでもない要求をしてきたのだった。