02.ドアを蹴破って
兄にとって、その電話相手は不意打ちだったに違いない。
『待て、おい。なんで要がうちの電話使ってんだ?今、うちに居るのか?』
「な ぜ?それはこちらの台詞だ。携帯に電話しても繋がらない。メールをすれば弾かれる。家の電話は“現在、使われておりません”・・一切の連絡手段を断たれた 挙げ句、こうして足を運んでみれば、アメリカに転勤したなどと。一体、どういう了見で、無下に扱ってくれたのか、納得の行く説明をしてくれないか?鏡」
クイっと眼鏡のフレームを押し上げ、一気に捲し立てる要さんは、誰の目から見ても怒っているのが解る。
私と話していたときと、口調も全然違うし・・雲行きは怪しい方向。
はっきり言って、お兄ちゃんはオレ様気質で自分の興味の薄いことに対しては、呆れるくらいずさんだ。
要さんへの連絡も、優先順位が低かったのだろう。彼の言う“無下な扱い”はきっと的を射ているに違いない。
仕方ないな・・助け舟出してあげるか・・。
「・・すみません、要さん。家電が繋がらなくなったのは私のせいです。悪戯電話多くて・・どうやら、番号覚えられてしまったみたいだったので、つい最近、番号変えちゃったんですよ」
これは本当。
お兄ちゃんにも相談して、問題がないか確認した上で変更したというのに・・こんなところで影響が出るなんて思わなかった。
申し訳ない気持ちいっぱいで見上げると、彼はなるほどと笑う。
「ですが・・それ、鏡は知っていたのでしょう?」
「え?ええ・・」
「では、きみに落ち度はありませんね。兄だからと、甘い顔してはだめですよ」
やんわりと介入を拒む姿勢に、それ以上、私はなにも言えなくなってしまった。
チッと小さな舌打ちが聞こえ、兄の声もまた、不機嫌色に染まる。
『つか、連絡はしようと思ったんだよ。けど、オマエ忙しそうだったし、俺も引き継ぎやら手続きやらで暇がなくてな。ワザとじゃねーんだ。そう、カリカリすんなよ』
「・・わざとじゃない?それこそ、電話一本で済む話だろう。第一、僕がこちらへ栄転になった話をした途端、連絡手段を断ったように思えるんだが・・故意だと感じるのは、僕の気のせい?」
『き、気のせいだろ・・』
お兄ちゃん・・声裏返して言ってちゃ、認めるようなものよ・・。
それが本当なら、なぜ?という要さんの戸惑いは痛いほど解る。
ここは彼の言うようにフォローなしで、きっちり納得のゆく説明をして貰うのが筋かもしれない。
「──そうか・・それはすまなかった。では、以前に交わした約束、果たしてくれるんだろうね?僕はそのつもりで、今日、こちらへ伺ったわけだが?」
『オマエ・・その状況見て言うのか?俺は今、アメリカで暮らしてんだぞ。無理に決まってんだろ!』
「・・いや、無理なことはないんじゃないか?──しずちゃん。鏡が使っていた部屋って、今、どうなってます?」
「え・・お兄ちゃんの部屋ですか?ええと・・そのままですけど」
「お掃除とかは、どうしてました?」
「もちろん。ちゃんとしてますよ。放っておくと、埃かぶっちゃいますし」
唐突に話を振られ、面食らいながらもそう答えた。
「しずちゃんが綺麗好きで良かった」
にっこりと微笑む顔。つられて微笑んだ私の顔は、次の会話で引き攣ることに。
「というわけで・・部屋は空いてるそうだ。問題なく、今日からでも生活できそうだよ?お兄さん」
『も、問題は大アリだろー!どこの世界に、他人・・しかも、初対面の男と可愛い妹の同居許す身内が居るんだよ!!』
ちょっと・・待った。
なんだか、ものすごい単語がでたような気がする。
「初対面じゃない。一応は、“知った仲”だ」
『っ・・屁理屈言ってんじゃね。絶対ムリ、許さん。つか、栄転なら社宅とかあんだろ?そっち行け!』
「それこそ、今更無理。荷物は全部、ここに届くように送ってしまったし、唯一空いていた社宅は他の社員に譲ってしまった。下手に転勤を隠し立てしたり、僕を無視しようとした鏡が・・すべて悪い。誰が何と言おうと、僕はここに──住む」
ここに住む?要さんが?それって・・それって・・。
「えええええ!?」
予想外の展開に、私は素面の状態でソファーから転げ落ちたのだった。
「・・つまり。要さんは、半分、この部屋の主ということよね?お兄ちゃん」
『・・一応。けど、最初だけだし、あれだったら、金は返す』
「そういう問題じゃないわよ!」
ぴしゃりと電話向こうの兄を叱り飛ばし、大きな溜息を吐いた。
あの後、私の動揺を察した来訪者は、事細かになぜそうなるのかという経緯を教えてくれた。
要さんの話によれば・・元々、この部屋は彼とお兄ちゃんがルームシェアで住む予定になっていて、契約した矢先、要さんは地方への出向が決まってしまったそうだ。
けど、当時、敷金礼金を支払える余裕がお兄ちゃんにはなくて、実入りの多かった彼が全額、出資してくれたらしい。
もちろん、いくら親友とはいえ、一方的な借りを作る立場を嫌った兄は、後々、必要があれば部屋を提供するという約束のもと、その好意を受け取った。
よって、要さんの要求と主張は筋が通っている。
むしろ、恩を仇で返す真似をしているのはお兄ちゃん。
となれば、私がすべきことはただ一つ。
受け継いだ受話器はそのままに、真っ直ぐ彼を見て言う。
「・・事情は解りました。本当なら、私が出て行くべきなのでしょうけど・・住み慣れたところで居心地いいですし、引っ越す余裕もありませんし・・要さんがご迷惑でなければ、私とルームシェアして貰えませんか?」
「──喜んで」
都合の良い申し出を、要さんはあっさりと笑顔で受け入れてくれた。
とりあえず・・今まで通りの居場所を確保できた、のよね?私の選択は間違ってないはず・・。
反面、一時の感情に流された衝動的とも思える言動に、浅はかだと自分を罵る部分もあり、耳にうるさく響いた抗議は、必要以上に癇に障る。
『しず!?なに言って・・ダメだ!お兄ちゃんは認めんぞ!』
「一体、誰のせいで事態がややこしくなったと思ってんの?住まいに関しての当事者は私。未成年じゃあるまいし、兄妹の縁切られたくなかったら、これ以上、筋の通らない身勝手な我が儘言わないで!」
一喝の元、罵る自分をも叱りつけた。
そう、私は年齢的には立派な成人。社会に出て、しっかり働いてもいる。自分のことは自分で決め、言動と行動に責任を持つべき大人。
口に出して、こうすると決めた以上、それを全うするのよ。
『ぐっ・・解ったよ・・。おい、要。聞いてんだろ?いいか、妹に手出してみろ・・親友の縁切るからな!!んで、傍にいる以上、変な虫つかねーように全身全霊を賭けて護れ!』
「お、お兄ちゃん!!」
「──わかった」
まるで八つ当たりするみたいな兄の物言いに、親友の彼はただ、苦笑する。
矛盾した両極端な要求に、本気で頭痛がした。なんてこと言うのよ、恥ずかしい・・。
『・・雫。要が妙な行動起こすようなら、何時でもいいから電話を──』
「っ・・馬鹿なこと言ってないで・・切るわよ!おやすみなさい!!」
それこそ、男女差を意識するに十分な要らぬ心配に、私は大急ぎで電話を切った。
はぁ・・もぅ・・疲れる。
「──相変わらず、極度のシスコンですね。鏡は」
「お恥ずかしい限りです・・」
「いや、こんなに可愛らしい妹なら、心配して当たり前ですよ?僕も放っておかないと思う・・鏡の気持ちは、すごく解ります」
肩を落とした私を見、要さんはどこまでもにこやかに、やんわりとした口調で首を振った。
いくら古い付き合いの親友だからって、あんな失礼な発言と態度をされてなお、こんな風にフォローしてくれるなんて・・しかも、女性に対する配慮も忘れないとか。
ああ、お兄ちゃんには勿体ないぐらい善い人だ。
「ともあれ・・これから宜しくお願いしますね。そして・・いきなりきみの生活圏に入ることになってしまって、すみません。どうか、今まで通り、気楽に・・いえ、今まで以上に仲良くして下さい」
「あ・・は、はい。こちらこそ・・宜しくお願いします」
紳士的に丁寧な挨拶をされ、背筋が伸びる。
気楽にと言われても・・物腰が全然違う。空気みたいに慣れ切った兄の気配とはほど遠い存在感に、正直、戸惑いと不安と、少しの後悔が生まれた。
私、平穏無事に暮らしていけるのだろうか・・。
小さく溜息をつき、不安要素を盗み見て・・ようやく、それに気づいた。
広い肩が小刻みに震えている。どれくらいの時間、玄関先で待ちぼうけていたんだろう・・。
「・・要さん。良かったら、先にお風呂入ります?」
「え?・・いや・・」
「今日はかなり冷え込んでいるし、そのままじゃ、風邪引いちゃいます。初っぱなで寝込んだりしたら、幸先悪いですよ?今日は、いわば私とあなたのはじまりの日なんですから」
これから、要さんとは一つ屋根の下、寝食を共にする・・いわば生活仲間。お互い支え合える部分があるなら、遠慮は無用というもの。
「はじまりの日・・ですか。・・そうですね。──わかりました。お風呂戴きます」
感慨深気に呟いた彼が大きく頷く。
うんうん、気恥ずかしいだなんて言ってられないものね。
「ええと、バスルームはあそこです。タオルとかはご自由に・・着替えとかあります?兄のが少し残っていたと思うので、なければそれを・・」
「いえ、今日明日しのぐ程度の着替えは持参してます。荷物は明日あたり届くよう手配してありますし、問題ないです」
「なら大丈夫ですね。それじゃ・・私、兄の部屋を整えておきます。脱いだスーツ類はソファーの上にでも置いといてください」
「有り難うございます」
これがお兄ちゃんなら、目の前で脱いでよこす場面だけど、身内外の男性相手に同じというわけには行かず・・難しいところ。
と、今日のご飯どうしよ・・。晩酌の予定だったから、ご飯らしいご飯ないんだけど・・まだ、出前頼めるかな?最悪、もう一度、コンビニに買出しかなぁ・・。
そんなことをぼんやり思いながら、お兄ちゃんの部屋へ足を踏み入れ、とにかくベッドを綺麗に整えた。空っぽのクローゼットや家具などの出番は、要さんの荷物が届いてからだろうし、今は別段、気にするものではない。
「もぅ・・いいかな」
彼の姿が浴室に消えているであろう時間を見計らってリビングに戻ると、ソファーの片隅にスーツの上下とネクタイがお行儀良く纏められていた。
「でかっ・・」
それらを手に取り、丁寧に折り畳みながらハンガーに掛ける。
兄のものより一回り大きい・・そういえば背後に立たれた時、見上げた先にあった顔は頭一個半分高い位置にあったな。私が160センチぐらいだから・・確実に180センチは越えてるわね。モテそー。
そこでハタと気づく。
要さん、彼女とかいるのかしら・・もしいるなら、親友の妹とはいえ、女である私と同居というのはマズイんじゃ?
ルームシェア申し入れる前に、お兄ちゃんに訊けば良かった・・。
「面と向かっては・・訊き辛い・・」
うーん・・そうだ!当初の予定通り、晩酌すればいいんじゃない?お酒の席なら気も緩むし、さり気なく話題にして訊けば自然。
でも・・甘いお酒なんて、男の人には物足りなそう。せめてビールよねぇ・・やっぱ、買いに行くか・・。
思い立ったがなんとやら。自分の部屋に入り、手早く着替えると、お財布を手に玄関へ足を向けた。
タイミングよく隣接するドアの一つが、熱気と共に開き、ふわりと石けんの匂いを漂わせ、頭からバスタオルを被った長身が姿を現した。
「あ」
水も滴るイイ男前・・圧倒的な色香漂う姿に、思わず目を奪われて、しばし放心。
「お先に戴きました。・・しずちゃん?どこか・・出掛けるんですか?」
]
声が掛かり、ハッと我に返った。コクコクと頷く。
「えっと・・コンビニにでも行こうかと」
「ん・・なにか足りないものでもあります?」
「その・・今日は晩酌するつもりで食事類とか用意してなくて。どうせなら、要さんと飲み交わして親睦を深めるのもいいなって思ったんです。でも、肝心のお酒が私好みに甘いのしかなくて・・」
「ああ・・そういうことですか。それなら・・やはり必要ないですよ。手土産持参しました」
にっこり微笑んだ彼は、手荷物の大きなカバンを探ると、中から二つ箱を取り出し、リビングのテーブルの上に置いた。
一つは洒落たデザインの縦長な箱。もう一つは漢字がプリントされた包装紙に包まれた横長な箱。
「これは・・?」
「日本酒と押し寿司。相手こそ違いますが・・僕も晩酌する気だったんです」
「お寿司!これなら小腹も満たせるし、丁度いいですね。正直、ご飯どうしようかと困っ・・」
っと・・思わず本音が転げ出た口を慌てて押さえるものの、時すでに遅し。
「・・なるほど。晩酌は夕飯を誤摩化す隠れ蓑でもあるわけですね?」
クスッと鼻で笑われ、なんとなく自尊心が傷つく。
「っ・・違うんですよ!?これでも、普段はちゃんと自炊してるし、冷蔵庫の中身だって豊かなんです!晩酌は週末限定の手抜きというか・・ストレス解消というか・・とにかく、料理が出来ないわけじゃないですからね!私の作るものは美味しいですよ!?」
気づけば、子供じみた言い方で必死に自分をフォローしていた。
そんな様は火に油を注ぐだけで、ますます笑いの色を濃くした要さんは、完全にからかう口調で言う。
「では・・明日はごちそうを期待していいってことですか?」
「え?」
「・・和食がいいですね。煮物に焼き魚、ダシ巻きと・・お味噌汁。独り身の男って、家庭の味に弱いんです。僕の中で、しずちゃんの株がグッと上がりますよ?」
独り身・・ってことは、彼女いないんだ。
軽口の中の単語を拾い上げ、内心でホッとする。これで心置きなく、誰に遠慮することもなくルームシェアできる。
「けど・・買い物行かないと材料ないですよ?とりあえず、今日は飲み明かしましょう!今、小皿とグラス用意するので座ってて下さい」
心に引っ掛かっていた難問が消化したおかげだろうか。素直に状況を楽しもうという余裕すら生まれた。
そこで待ったを掛けたのは、湯上がりの紳士。
「しずちゃんは、お風呂どうするんです?なんだったら、上がるまで待ってます。さすがに、飲んだ後入るわけにはいかないだろうし・・」
「あーえーと・・私、明日、朝イチで入るからいいです。要さんほど身体冷えてないですし。今は・・お腹の方が限界ですから」
意地汚くも、チラリとお寿司を見て言う。これはほぼ言い訳的演技だったのだけど・・だって、私の風呂上がりなんて待っていたら、それこそ彼は湯冷めして本末転倒。
「・・わかりました。実は、僕もお腹空いてたんです」
すぐにこちらの意図を汲み取ってくれたのか、要さんは笑って包みを開けたのだった。
顔を突き合わせたのは確かに初めてで、初対面ではあったのだけど、兄との繋がり上、電話で話したりしていたせいか、私たちはすぐに打ち解けた。
会話は弾み、お寿司は美味しかったし、お酒も進んで・・気づけばあっという間に朝。
先に目を覚ましたのは──私。お互いに気分良く酔い、すっかりソファーで寝入ってしまったようだ。
「・・お風呂・・入んなきゃ・・」
まだ、アルコールの抜けていない身体ながら、彼が起きる前にシャワーだけでも浴びてしまおうと思ったのが間違い。
熱いお湯を頭から被り、身体と頭を洗ったところまでは覚えていた。
不意に、ぐにゃりと視界が歪んで・・そこから先の記憶がない。
「──ちゃん・・?・・しずちゃ・・音・・大丈・・・・・雫っ!?」
遠くで微かに私を呼ぶ声が聞こえた、次の瞬間、それがドアを蹴破って──。