Baby if:3

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 景色が一変した。
 たった数日を過ごした空間ではあったけれど、馴染み深く落ち着ける場所に、わたしたちは居る。
 帰って、きたんだわ。
 ホッと小さく息を吐くと、隣に立っていたジンが一歩進みでて、くるりと正面を向く。じっとわたしを見つめて、言った。


「おかえり、アリス」
「──ただいま、ジン」

 出迎える言葉に、わたしは柔らかく微笑んで応える。
 目の前の金髪は、昔のわたしを知らない彼じゃない。出逢いを憶えていて、全てを知っているジンだ。

「あのときは・・酷いこと言って傷つけてごめんな。それに・・長い間忘れて、苦しめて・・ホントに悪かった」
「ううん。わたしも無神経だったから、いいの。色々迷惑かけてごめんね、ジン」
「別にメーワクかけられちゃいねぇし、アリスが謝るコトは・・あ」

 困り顔の翡翠の目が、なにかに気づいて見開かれる。

「そーいや肝心なコト、まだ言ってないんだよな・・」
「肝心なこと?」

 首を傾げて、ジンの顔を見上げた。
 そこにあったのは、真剣だけれど、優しい眼差し。

「オレ、アリスが好きだ」

 綺麗な最上級のエメラルドが、明確な意志を持ってわたしの心を射抜く。
 欲しかった言葉。
 欲しかった想い。

「──わたしが良いだなんて・・あなたも物好きね」

 幼い頃の言葉を借りて言い、頬に触れる大きな手に、自分の手を重ねてすり寄せた。
 手放しで心開ける、心を預けられる唯一無二の他人。
 それが目の前の彼。

「わたしもジンが好き」

 愛しい人の望む熱が、今、わたしに触れている。
 
「誰よりも愛しているわ」
「アリス・・」

 それが合図。
 互いの顔を引き寄せ合い、そっと唇を重ねた。
 わたしの恋が成就した瞬間だった。

 ねぇ、ジン。
 きっと、初めて遭ったときから、わたしはあなたが好きだったんだと思う。
 出逢ったとき、友達になったわたしたち。
 今日からは──恋人ね。


 
 そう、わたしたちは“幼なじみ”“犬猿の仲”を経て、念願の“恋人”になった。
 なったのだけど・・。

「・・っ・・ジンっ。やっぱり、わたし──」

 身体に慣れていないベッド。自分のものとは違う匂いのする部屋で、訴える。
 わたしが今居るのは、ジンの部屋。
 彼のベッドの上、追い立てるように迫る金髪を目の当たりに、なんとか逃れようと身体をずらしてみたものの、すぐ背後に行き詰まり、半端な姿勢で固まるしかない。
 そんなわたしの様子に、ジンはただ、苦く笑った。

「っても・・先延ばししたら、手遅れになるだろ?」
「だけど・・」
「あのなぁ・・オレだって初めてなんだよ。どうしたらいいんだか手探り状態だし、ぶっちゃけ、心臓なんて壊れそーにバクバクいってる」

 「ほら、触ってみろ」と片手を取られ、言われるまま、剥き出しの上半身に手を添えて、鼓動を確かめてみる。
 トクトクと明らかに早く脈打つそれに、彼の言葉がウソではない事実を知った。
 ジンも初めてなんだ・・。
 良かったと思う反面、やっぱり気恥ずかしくて、なにより、未知の領域へ踏み入れることへの不安で身体は逃げる。
 こんな急展開・・受け入れろっていう方が無理だわ。

 なぜこんなことになったのか・・話は少し遡る。

 有り合わせのもので作った夕飯を済ませ、後片付けの間にジンがお風呂に入り、次にわたしが入って、各自、自室に引き上げるというのが定石。
 当初、先にお風呂を戴いていたのだけど、あまりに長いわたしの入浴時間に痺れを切らした彼が先に入るということで決着していたから、関係が変わってもそれは同じだと思っていた。
 丹念に身体を、髪を洗い、柑橘系アロマを落とした湯船にゆっくり浸かってたっぷりの入浴。上がった後は、濡れそぼった長い髪をしっかりドライヤーで乾かしつつ、歯を磨き、わたしのお風呂タイムは終了。
 リビングに戻ってみて・・驚いたわ。
 いつもは人気のない空間に、彼がいた。ソファにごろりと横になり、わたしを見て起き上がる。

「ジン?どう、したの?」
「ったく・・ホントにおっせぇのな。待ちくたびれたぜ」
「わたしの入浴時間が長いことは実証済みだと思うけど。なにか用?」

 責める視線に苦笑しつつ、訊いてみた。

「まぁ、アレだ。ちょっと座れよ。大事な相談が・・あるんだ」
「相談?」

 どこか心を決めた様子で真っ直ぐに見つめてくる翡翠色に気圧され、わたしはジンの言うまま、ソファに腰を下ろす。
 なにかしら・・。
 視線に落ちつかない気持ちをぐっと抑え、彼の言葉を待った。

「・・瞳のイロ」
「うん?」
「黒いままだな」
「あ・・」

 言われ、反射的に目を押さえる。
 呪いが解けたはずのわたしの瞳の色は・・未だに黒いまま。翡翠色のジンや、青い色のカイは例外として、紅い色の瞳こそが魔力を有する者である証。
 つまり、わたしにはまだ、完全には魔力が戻っていないことになる。

「呪いは・・たぶん、解けてると思うのよ。僅かだけど、沸き上がる魔力があるし・・」
「・・僅かじゃ、ダメなんだろ?ババァに言われたぞ」
「おばぁさまに?」
「ああ。呪いを解くのが間に合ったとしても・・その・・衰弱し切った栄養の足りない根の処置を怠れば、再起は難しくなるって」
「・・・・・」

 ジンの言わんとしてることを察し、わたしは目線を外した。
 処置・・それは、つまり・・。
 当初、そういうことを覚悟して、彼の元を訪れたけれど、実際、目の前に突き付けられると・・恥ずかしくて、怖い。
 不意に、熱くなった頬を包まれる。
 いつの間にかジンが隣に座っていて、わたしに触れていた。

「ンな表情すんなよ・・オレだって、急過ぎて、イイかどうかなんて・・」
「ジン・・」
「ケド、アイツじゃないが・・オレもイヤだ。アリスが女を捨てることになるなんて、絶対、イヤだからな。防ぐ方法があるんなら、試したい・・黙って見過ごすなんてできねー」

 真剣な目。
 優しく頬に触れている手の温かさに、わだかまっていた行為に対する羞恥や恐怖心が、徐々に溶けてゆく。

「もぅ、何一つ、失って欲しくないんだ。オレが奪うのは──アリスの心だけでいい」

 その言葉で、わたしは心を決めた。大丈夫。彼になら全てを委ねられる。
 そっとジンの頬を両手で包んで顔を寄せると、軽く唇を重ねた。
 唖然と惚ける彼がおかしくて、わたしは小さく笑いながら言う。

「最高の口説き文句ね。問題児の黒衛仁くんは、いつからそんなに口が上手くなったのかしら?」
「──ははっ・・委員長に褒められたのぁ、初めてだ」

 そして、お互いに照れ隠しの軽口を叩き、どちらからともなく、抱き合った。

「いいわ。ジンの思う通りにして・・」

 そうよ。愛する人だもの、彼を信じよう。


 
 と、先刻までは、腹をくくっていたのよ。確かにね。
 けど、想い描く絵空事では大丈夫と思えた行為も、眼前に迫る現実はそう甘くない。彼が男らしく脱ぎ捨てた寝間着代わりのTシャツを横目に、溜息をついた。
 直に触れたジンの身体は、女には持ち得ない堅さで引き締まっていて、掌を通して伝わるリアルな熱と脈打つ鼓動に、わたしの心臓も大きく跳ね上がる。
 どうしよう・・無理だわ。羞恥心で心臓がもちそうにない。
 萎れて行く心とは裏腹に、身体に伸しかかる別の者の重みはどんどん這い上がってきて、けれどもぅ、背後に逃げ場はなく、至近距離で見つめられる。
 伸びた手が額に触れ・・思わず、びくっとしてしまう。

「そんなにさ、怖がるなよ。別に取って食おうってワケじゃ──いや、あるか」

 ははっと複雑な表情で笑うジン。その目がちょっとだけ傷ついた光を宿していることに気づき、違う意味で心が萎れた。
 ──恥ずかしがってる場合じゃない。
 怖いのはわたしだけじゃないはずよ?彼だって初めてなんだもの。不安でいっぱいなのに、相手がこんなにも恐れてどうするの?
 一人でどうにかできる問題じゃないわ。
 自分と、相手が居て初めて成立することに、当事者が協力しないなんて、きっとお話にならない。
 大丈夫、大丈夫よ。
 深く深呼吸して気を落ち着かせ、目の前の不安気な顔を見上げた。

「ごめん、ジン。わたし・・平気よ。だから・・遠慮しないでいいわ」

 決意を告げると、彼の表情にちょっとだけ光が射して、額に触れていた指先が輪郭をなぞるように頬を滑り、顎を取られる。

「謝るのは、コッチだ。ごめんな、こんな急に。怖いの当たり前だよな?オレだって怖いんだからさ。まして、女は半端なくイタイって聞くし・・泣かせちまうよな」

 わたしもそんなには詳しくないけど、初めてが痛いというのはよく耳にする情報。
 でも、決めたの。もぅ、迷わない。恐れたりしない。
 
「痛くても泣いても構わない。だって、あなたを愛しているもの」

 翡翠色の瞳が、この上なく優しく細められる。

「・・最高の殺し文句だ」

 唇に降りた熱を受け止めて、わたしは彼に身を委ねた。

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