08. 泣く一歩手前の顔をしてるのに
「・・今すぐ、翔の上から退け・・」
「おまえ・・一年の小笠原、か」
予想外の闖入者に、私も含め、呆然となる先輩たち。
そんな心中など完全に無視といった風体で、空夜は更に警告する。
「聞こえへんかったんか?御託はええから、早う、退けや・・」
「──足腰立たなくされなくなければ、言う通りにすることだ」
「最も・・君たちをこのまま放ってはおけませんけどね?」
後押しするみたいな声の主は、甲斐谷先輩と皆戸先輩のもの。
「妙な引き合いに出されたときはどうしようかと思ったけど・・やっぱ、翔くんは見る目が違うねぃ」
「つか、おまえら・・三対一なんざ、男として恥ずかしいと思わねぇのか?えれぇ、ムカつくゼ・・」
相沢先輩、瀬名先輩まで・・大集合だ。どうなってんの?これ。
いきなりの好転は私にとって、ホッとする状況だったものの、示し合わせたみたいな登場に驚き、涙も引っ込む。
「し、四天王!?」
「なんでここに・・?」
「どーなってんだよ、これ・・」
「っ・・退け!!!」
焦れた空夜が実力行使に出て、私を押さえつけていた男たちが吹っ飛ぶ。
束縛から解放され、一気に力が抜けた。・・助かったんだ、私・・。
「大丈夫か!?ケガは・・」
「いっ・・」
「右足首と・・背中が痛いんやな?あぁ・・顔も・・酷い・・」
倒された拍子に捻った右足と、打ち付けた背中が少し痛み、頬も鈍い痛みを訴える。
心配気に覗き込む顔が、私の状態を診て歪んだ。
「殴られたんか・・くそっ・・誰や!おれが倍にして返したるっ!!」
「ひっ!」
「く、空夜・・落ち、着いて。僕は、大丈夫だからっ」
「なんで止めるん!?・・痛いやろ?恐かった、やろ?男、三人掛かりやなんて・・許せへん。絶対・・絶対に・・許せへんわ!!」
今にも殴り掛かろうとする彼の腕に縋り付き、慌てて止めた。
が、怒り心頭な空夜は、簡単に私の制止を振り切り、手近にいた一人の胸倉を掴む。
「空夜!!」
彼が繰り出した拳が頬を打つ寸前、鋭い一喝が飛び、その腕は掴まれた。
「ここから先の処分は、俺たちの仕事だ」
「せやけど・・周防兄・・」
「空夜くん。君の仕事は他にあるでしょう?」
納得がいかないと、首を振る彼の背を皆戸先輩がやんわりと叩き、私へと視線を向ける。
場を沈静化するためには、私と空夜の存在が妨げになっていることをすぐに察し、彼の袖を引いた。
「空夜・・先輩たちの言う通りにして。僕らは寮へ帰ろう?ここには、居たくない」
「翔・・・・・分かった」
深呼吸し、なんとか落ち着いた空夜は、何を思ったのかしゃがみこんだ姿勢で背を向ける。両手で招かれ、その意図を理解した。
これは・・私を背負って運ぶってことだよね?
少し恥ずかしく思いながらも、右足に力が入らない事実があり、大人しく従う。軽々と背負われ、高い視界にちょっと感動。
「ほんまは姫さん抱っこしたいとこやけど・・さすがに、その姿やと目立ってまうからな」
ボソッと言われ、想像してみる。確かに・・妖し気だ。
「ほな、俺らは寮に帰る。あとは・・よろしゅう。きっついお仕置き、頼むで」
「任せろ」
「・・あ、ええと・・先輩方、ありがとうございました」
ぺこんと頭を下げると、先輩方は一様に暖かい眼差しで見送ってくれた。
それにしても・・なぜ、空夜は──先輩方は、タイミング良くあの場に駆けつけることができたんだろう?
その謎は、寮に帰って訊ねれば解けるのだろうか・・。
ともあれ、貞操の危機は回避出来たのだ。
「とりあえず・・ほっぺた冷やさな」
寮に辿り着き、私をソファーへと下ろした彼は、手際よく救急箱と濡れタオルを用意すると、腫れて熱を持った頬にあてがう。
ひんやり冷たい感触が心地よい。
「女の子の顔を殴るやなんて・・あいつら、最低や」
「まぁ、男だと思われてたし、仕方ないよ。それに・・グーで殴られなくて良かった。これなら、冷やしておけばすぐ、腫れ引きそう」
「・・右足首と、背中も、痛いんやったな。・・診せて」
「いや、大丈夫だって。そんな大したことないと思う」
濡れタオルを譲り受けながら、小さく首を振る。
安心させるつもりで言ったのに、目の前の表情は少し怒ったような渋面へと変わった。
「翼の“大丈夫”は信じへん。ええから、とっとと診せぇや。まずは、足」
半ば、脅すようなそれに渋々、靴下を脱いでズボンの裾を捲り、右足を差し出す。
空夜の手が私の足首を緩く掴み、長い指先が筋を探って上下した。痛めた箇所が分かったのか、救急箱から湿布と包帯を取り出し、やはり手際良く手当てされる。
「これでええ。次は・・背中やな」
「え?背中なんて、軽く床に打ち付けただけだよ。怪我の内、入らな・・」
「それを判断するのんはおれや。ほら、早うシャツ脱いで。モタモタしとったら、剥いてまうぞ?」
本気とも冗談ともつかない言い様に、それでも素直に従ってベストを脱ぎ捨て、躊躇いながらもサラシを解き・・胸元を隠しつつ、ワイシャツをはだけさせる。
早速と、彼は私の背後へと周り、そっと背中に触れて来た。
「ん・・内出血して、青痣になっとる・・」
「別に・・見えないとこだから、大丈夫」
「せやから、“大丈夫”は信じへんって」
大きな手の感触。濡れタオルを触っていたせいか、冷えたそれがやはり心地よく感じる。いたわりながら背中を撫で、ふと、手が止まった。
「綺麗な、白い肌やね・・余計、痛々しく見えるわ」
「空──」
明らかに手のひらとは違う、柔らかい感触が背中に熱を落とし、心臓が大きく跳ねる。
こ、これは・・。
「く、空夜・・な、なにして・・るの?」
「ん・・早う治るように、おまじない」
羽のように優しいキスが、一つ、また一つと背中に落とされる度、鼓動が早まってゆく。
ええと・・これは・・ただのおまじない。空夜は好意でしてくれているんだから、変に意識しちゃ駄目だ。
ビクビクと身を縮めて耐えていると、背後の気配が動いた。顔の横から覗き込まれる。
「痛いのん?」
「・・っ・・痛くはないけど・・く、くすぐったいよ」
「ふぅん・・痛くはないんやね?せやったら、もうちょい、我慢し。縁起モノやし」
「も、もう十分だか・・痛っ・・」
どこか底意地の悪い含み笑いで、なおも続けようとする空夜から逃れるため、身体を捻った瞬間、右足首に激しい痛みが走った。
よろめいて傾いた身体を、力強い二の腕が支え、抱きしめられる。
「阿呆!骨に異常はあらへんけど、筋痛めてるんやで?無理したらあかん!」
「・・ご、ごめっ──」
申し訳なく思い、謝罪の言葉とともに見上げ・・かち合う視線。
それきり、目が離せなくなる。静かに私を見つめる瞳は暖かくて、優しくて・・。
「・・ここ、まだ痕残っとるね」
スッと視線が落ち、まだ、うっすらと色残る部分に彼の指が触れた。
サラシの戒めを解いた胸元は、自慢出来るほど豊かではないものの、それと分かる谷間を披露していて・・あっと思った時には、ゆっくり空夜の頭が下がり、唇がソコに触れる。
「っ・・」
いつかの朝と同じく、チュっと吸い上げられ、再び、色濃い華が咲いた。
でも、今日の空夜はあの時とは違い、ちゃんと意識がある。意思が・・ある。
「んんっ!く、空夜・・っ!?」
胸元から首筋へと移動する唇。顎に触れ、唇の端ギリギリにキスを落とし・・額を摩り合わされた。
その艶っぽい一連の動作は未経験の領域で、彼の一挙一動にいちいち身体が震えてしまう。こんなの・・どうしたらいいの?わかんないよ・・。
「・・翼。なんで、こない固くなっとるん?おれら・・もぅ、身体重ねた仲なんやろ?」
「そ、それ、は──」
「なぁ・・ほんまは・・してへんのとちゃう?」
私の動揺を見透したのか、探るみたいな視線と言葉を投げかけられ、激しく首を振った。
「っ・・し、したよ!へ、変な言いがかりつけて、責任逃れしようっての!?酷いよ、空夜っ!」
もし、一線を越えてないと解ったら、空夜が責任を感じて私に力を尽くす理由がなくなってしまう。そうなったら、私はこの不利な環境下、独りで・・。
そんなの、もぅ、無理だ。
彼が常に傍にいるという状態に慣れて過ぎてしまった今、独りでなんて頑張れない。
・・どうしよう・・こんなつもりじゃなかったのに・・。
いつの間にか、私にとって、空夜は無くてはならない存在になっていた。
「せやったら・・しよっか」
「なに、を・・?」
「仕切り直しで、もっかいしよ言うてんねん。翼は覚えとるかもしれへんけど、おれ、全然覚えてへんし・・それって、不公平やない?」
「で、でも・・」
「大丈夫やって。初めてやったら、ものごっつい・・それこそ、泣き叫んでまうほど痛いやろけど、二回目やったら・・まぁ、ちょい苦しいぐらいで済むと思う」
言われ、顔が引き攣る。
当然、私は前者なわけで・・初めてって、泣き叫ぶほど痛いんだ・・。
ということは、このまま話が成立してしまえば、初めてだって悟られないためにも、痛くない演技しなくちゃならないってこと?泣き叫ぶほど痛いのに?
ちらりと悩みの種の表情を伺ってみれば、やはり、どこか疑っているみたいに目を眇められる。やるしか・・ない。
「わかった。確かに、少し不公平だね。うん・・しよ」
「・・本気か?」
「は、初めてじゃないしさ。泣き叫んだりしないから・・大丈夫!」
「翼・・おれは──」
なにか言いたげに口を開いた空夜は、しかし、小さく息を吐いただけで、押し黙ってしまう。少しの間を置き、身を剥がした彼は、言葉を発しないまま、初めての行動へと移った。
大きな手が首の後ろに周り、そっと上を向かされて・・今度は端ではなく、唇そのものが触れ合う。ギュッと目を瞑り、成されるがままに任せた。
「ん・・ぅ・・」
自分のものではない、他人の熱・・これが私のファーストキス。
そして、これ以上のことも空夜と・・そう、自覚した途端、一気に緊張してくる。心臓が壊れそう・・息が苦しい・・怖い・・。
あらゆる不安が私の中でどんどん膨れ上がり、演技しなくちゃいけないのに、泣きたい気持ちでいっぱいになってしまった。
「・・はぁ。翼・・もぅ、ええ。おれ、降伏する。泣く一歩手前の顔しとる女を、これ以上、苦しめられへん」
諦めとも、呆れともつかない、困ったような囁きと同時に優しく頭を撫でられ、恐る恐る目を開く。
もういい?降伏って・・なんのことだろう。
私の戸惑いを察し、空夜はすぐに言を次ぐ。
「俺と翼がしとらへんことは・・あの日の時点で解っとったんよ」
「・・え?そ、そんなことないよ!?私たち、確かに──」
「いや、しとるわけがない。どうやら、翼、そういう知識あやふやみたいやから言うけどな。ほんまに初めてしてもーたんやったら・・出血しとるはずやわ」
「出血・・?初めてって・・血出るの!?生理みたいに?」
「ま、人それぞれやけど・・。ただ、男の側がろくに意識なかったんやったら、相当に痛い初体験になっとって、事後、あんなケロっとできるはずない。せやから、嘘なん、バレバレや」
「そう、なんだ・・。そう、だったんだ・・」
事実を知り、身体から力が抜ける。涙腺も緩んで、涙が溢れた。
嘘をついた自分も悪いけど、それ以上に・・。
「空夜の・・バカ!知ってたんなら、知ってたって、早く言ってよ!!私が、どんな思いで・・どんだけの覚悟で、しよって言ったと・・っ」
「翼かて悪いんやで?おれの気持ちないがしろに、利用したやんか。さすがに傷ついたわ・・ちょっと意地悪したくもなるやろ」
「ぅ・・そこは・・ごめん・・必死だったんだもん・・」
「いや、おれも・・ごめんな?器の小ちゃい真似してもうた。せやから、両成敗っちゅうことにして、お互い責めるのんはやめよ。な?」
「・・うん」
にっこり微笑み、抱きしめてくれる空夜の腕は、とても暖かく、例えようもない安堵感が広がる。目の前の彼は、損得抜きで私の力になってくれる人なんだ・・。
この期に及んで、ようやく、私はそのことを思い知ったのだった。