01. 世界の色が変わった日
魔術王国プラティナ。
その名のとおり、ありとあらゆる魔術に関する知識や歴史が集約し、研究がなされている国。
魔術とは即ち、世に言うところの三大勢力の一つであり、それを主と扱うプラティナは誰もが一目を置く大国であった。
歴代の王は魔術に長け、中でも現国王は最も秀でた能力を有するという。
「・・なんと申されました?兄上」
耳を疑う言葉に、目を瞬かせる。
問い返された方は、ゆったりと椅子に座ったままの姿勢で繰り返した。
「だから、留学することになった。と、言ったんだ」
「はぁ・・」
留学・・それはあまりにも意外な単語だった。
兄はひいき目に見なくても優秀な人間で、誰かに教授を乞う必要などまったくない、いわゆる、生まれついての天才だ。
そして、その能力を本人も自覚しており、数多の実績の元、確固たる自信を持ち、誰の下にも属さない孤高の存在として世間に名を知らしめている。
見た目もなかなかに整っており、艶やかな白金の髪と、紺青色の瞳。他を圧倒する威圧感をまとい、性格は極めて自活的で、気位の高い・・。
「俺が決めたことだ。文句なんてないだろ?マリア」
「・・ええ。他でもない、魔術王として名高いエルフェンバイン兄王様がお決めになったことなら、宜しいんじゃないですか」
「だろ?俺の見立てに間違いがあるはずないもんな」
是と唱える妹に、満足げに頷く兄・エルフェンバイン。
そう、ようするに彼は、自他ともに認める俺様気質の持ち主だったのだ。
当然、内面は問題だらけではあるのだが、些細なことと片付けられるぐらい、他が充実していたのは天性の幸運であろう。
だが・・それはそれで、困ったことになる。
そのたぐいまれな優秀さを良しとした王は、早々に引退してしまい、この兄は若干25歳にして、すでに一国の王座についていた。
重要な権限を持つエルフェンバインが留学──どれほどの期間かは定かではないが、しばらく国を留守にするとなれば、国政はどうなるのか。
もちろん、彼一人で国の政治全てを担っているわけではなく、サポート役がいるにはいるが・・その筆頭とも言える人物は、残念ながら後を一手に引き受けられるほどの高い能力がない。
──自分のことながら、情けないの一言に尽きる・・。
自分の能力を冷静に評価したマリアこと、マールリアンは、溜息を吐き、小さく肩を落とす。
それでも、精一杯やるしか、きっと他に術はない。
兄は一度言い出したら、誰の言葉であろうが・・たとえ血を分けた実の妹であろうとも、聞き入れはしないのだから。
それにしても・・と思う。
ありとあらゆる魔術に精通し、これ以上学ぶべきことなどないように思える兄が興味を示したのは、一体どこの国なのだろう?彼が知り得ていないような、古代魔術でも発見したのだろうか。
自分の記憶が確かなら、そんな噂は耳にした覚えがないが・・。
「それで・・留学先はどちらなんです?兄上が切望するほどの国となると、さぞや・・」
「ん、アウルム」
「・・え、アウルム・・です、か?」
留学自体も意外なら、留学先も予想外だった。
アウルムは確かに興味を抱くに十分な国ではあるが、魔術とは対局の、武術が盛んな国だ。古代魔術どころか、初歩の魔術すら使える者はごくごく少数しかいないはず。
別名、武術王国アウルム。プラティナと肩を並べる三大勢力の一つである。
魔術に飽きて、今度は武術を極めようと・・?
兄の考えがまったく読めず、マールリアンは渋い表情をする。
もし、そうなら、これが天才の余裕というものか。王族であり、同じ血族だというのに、偏った魔術しか使えない彼女には羨ましくもあり、恨めしくもあった。
その半分・・いや、十分の一でもいいから、父と母の優秀なDNAを残しておいてくれたなら、自分も魔術師としてもう少しはマシだっただろうに・・飽きるだなんて贅沢な悩みだ。
とはいえ、兄妹というだけあって彼女も器量はよく、品行方正な様に好印象を抱いている者は多かったのだが、本人はそのことに気づいていない。
「それは・・いい選択ですね。アウルムの武術はとても高度と聞きますし、会得したなら兄上の株はますます上がるでしょう。それで・・いつ頃、ご出立なさるんです?できれば、期間もお教え願えると留守を預かる身としては安心なのですが」
内心の葛藤を表情に出さないよう気をつけながら、彼女は今後のスケジュールについての確認を促す。
と、今度はエルフェンバインが渋い表情をした。
「なんで俺の株が上がるんだよ。上がるとすれば、お前だろーが」
「は?なぜ、私になるんですか」
「魔術はてんでダメでも、もしかしたら武術の才能が開花して、そっちがサマになるかもしれねーじゃん。そうなりゃ、とりあえず、肩身の狭い思いしなくて済むだろ?」
「魔術が・・ダメ?兄上がダメなら、治療術しか取り柄のない私はどうすればいいんですか。だいたい、肩身が狭いわけないでしょう。一国を治めている王なんですから」
「・・・・・待て。そもそも、誰が留学すると思ってるんだ?」
微妙に論点がずれていることに気付き、彼は話の噛み合ない妹を見据える。
「誰って・・兄上でしょう?」
「・・なんで俺が。腐っても一国の王だぞ?一人でふらりと他国に長期滞在なんて、出来るわきゃねーだろ」
もしや、の思い通りの答えに、エルフェンバインは飽きれた様子で大仰に溜息を吐いた。
盛大な勘違いをしているであろう妹を指差す。
「留学するのはお前だ」
「お前って・・わ、私!?」
「ああ」
「・・兄上ではなく、私が・・アウルムへ・・」
一瞬、なにを言われたのかわからないといった風にぽかーんと口をあけた彼女だったが、徐々に言葉の意味するところを理解したのか、顔色が変わる。
他人事とどこか落ち着き払っていた体はどこへやら、一気に慌てだす。
「あ、あの!・・な、なぜ私がアウルムへ留学なんてことになるのでしょうか!?」
「さっき、文句ないって、いい選択だって言ったじゃねーか」
「そ、それは・・兄上が留学なさるのだと思ったからであって、私自身のこととなれば話は別ですよ!」
先ほどとは打って変わった態度に、エルフェンバインは目を細めた。
「なんだよ。自分のことじゃないからって、適当に返事してたのか?」
「そういうわけでは・・」
「だったらなにも問題ないだろ。むしろ、国交を深めるいい機会ってことで」
一国の王らしい発言をされては、マールリアンに反論の余地はない。
まだなにか言いたげに口をパクパクさせたものの、それは言葉として発することなく、ぐっと真一文字に引き結ばれる。
眉間に深い皺を刻み、不本意なのがありありと解る苦い表情の妹を面白そうに見やった彼は、更に言葉を重ねた。
「出立は明日。期間は特に決めてねーから、お前の気の済むまで。大きな荷物は転送するから、身の回りの物だけ手荷物で持って行けばいい」
「は!?あ、明日?そんな急な!しかも、無期限って・・い、幾らなんでも、横暴過ぎやしませんか!?」
当人の都合を無視した無茶苦茶なスケジュールに、さすがのマールリアンも素直に頷く気にはなれなかった。
ものすごい剣幕で眼前の机を叩き、身を乗り出す。
殺気さえ纏う彼女の視線を、けれど、エルフェンバインはどこまでも涼しい表情で受け止め、伝家の宝刀たる一言を口にした。
「これは、プラティナ国王としての命令だ。いいか?一国を代表して行くからには、適当で帰ってくることは許さん。覚悟を決めて行ってこい!」
「うっ・・」
いくら兄妹といえど、上下の関係は明確であり、別格で、自分はそれに従わざるを得ない立場の人間。
そう、何人たりとも、この王命を覆すことはできないのだ。
言葉を詰まらせた彼女は、しばらく無言で兄を見詰め、諦めたようにがっくりと項垂れる。
「・・わかり、ました。この、マールリアン=プラティーン。王命に従い、アウルム国に留学し、立派に努めて参りたいと思います・・」
「よし。決まりだな」
ようやく口をついて出た了解の言葉に、再び、満足と頷いた彼は、ふと、思い出したように付け加えた。
「ああ、そうそう。一応、留学するのは俺の弟ってことになってるから、そういう振る舞いで宜しく」
「はい」
素直に頷き、違和感に気づく。
・・今、自分を示すはずの単語がおかしかったような・・。
いや、きっと聞き間違いだろう。
そう思おうとして顔を上げれば、どこか楽しげな瞳とぶつかり。
「相手国のお前を指導してくれる奴っては、剣の腕は超一流なんだが・・いわゆる女にだらしない無節操もんでなァ。そのまんまで行ったら、武術なんてろくに教えてくれず、下手するとおまえ・・喰われるぞ」
「・・く、喰われ?・・って、もしかしなくてもその方は・・あの方ですか・・」
「そ。お前が苦手としているアイツだ」
出来れば外れて欲しかった読みは当たってしまい、マールリアンは眉間に深い皺を刻み、低く唸った。
彼女自身、苦手としている理由がその不貞っぷりなだけに、あり得なくはないが、それでもさすがに物事の分別はつくはずだろう・・。
「・・・・いや、まさか。兄上も冗談が過ぎる。仮にも王族である私に、そのようないかがわしい真似を、女だからという理由で短絡的にするはずが・・」
「ま、油断して痛い思いすんのはおまえだし、俺はどっちでもいいんだが?そうなったらなったで、結婚しちまえば体面はどうにかなるだろーしなァ」
完全に他人事な兄のセリフに、真実味を感じ取ったマールリアンは、自分が思う以上に相手が手強いことを悟った。
ぶるりと身震いを一つすると、慌てて、首を横に振る。
「わ、解りました。あちらでは兄上の弟として・・断固、男として振る舞います!!」
「まぁ、俺も鬼じゃない。最高の小細工してやるし、どうにも手に負えないヤバイ事態になったら一瞬で逃げ帰れる魔術も掛けておいてやる」
「・・志半ばで無様に逃げ帰る予定など、毛頭ありませんが・・お心遣いありがとうございます」
「魔術発動の呪文は・・そうだな・・【聡明で優しいお兄様、小動物のように脆弱な私めにどうか救いの手を差し伸べて下さいませ】・・コレで」
「・・・・・兄上らしいですね」
「だろ?」
魔術王と名高い稀代の天才も、今のマールリアンにとっては、ただただ、ぶん殴りたい相手でしかなかった。
忘れもしない。
彼女にとって、世界の色が変わった日。