「そうそう、私、要さんにどうしても訊きたいことがあるんです」
兄の手術の成功を聞き、二人の関係も進展して、肩から荷が下りた状態。
夕食もお風呂も済ませ、ゆったりくつろぎ時間に突入というところで、そう、切り出した。
「訊きたいこと?なんでしょう」
リビングのソファーに座り、グラスワインを手に、首を傾げる彼。
やっぱり、物言いが丁寧。
「どうして、私に対してだけ頑なに敬語なんですか?」
「・・しずちゃんだって、敬語じゃないですか」
軽い返しに、むぅっと頬が膨らむ。
真面目に訊いてるのに。
「私のはいいんです。要さんは年上だし、上司だし・・なにより、ただ一人だけ徹底してるわけじゃないし」
「・・それがなにか問題なんですか?」
「問題というか・・なんだか、それってどこまでいっても、砕けた関係にはなり得ないって、境界線引かれてるみたいで・・」
村上さんに言われた言葉を思い出し、消沈してしまう。
けれど、肝心の当人は・・驚くことに、声を立てて笑った。
「は・・はははっ!」
「な・・なにがおかしいんですか!?」
「いえ・・すみません。事前に、話すべきでしたね。しずちゃんの誤解は最もです。僕の中には、特異な分類方法があるんですよ」
「特異な・・分類方法?」
「ええ」
私の隣でひとしきり笑った要さんは、大きな咳払いを一つすると、その方法とやらを話し始める。
「まぁ、そんなに大したものではないんですが・・好意を抱いていればいるほど、相手に対して敬語になるんです。砕けた物言いはむしろ、格下と見ている場合か、それほど重要視していない相手ということになります」
あ・・だから、村上さんに対してはあんなに・・。
・・あれ、でも・・待って。それに当て嵌まらない人物もいるような?
「・・お兄ちゃんに対しては敬語じゃない気がするんですけど・・」
「鏡は・・」
途端に困った表情になる。
「──鏡に対しても、もちろん敬語だったんですが・・気色が悪いと言われましてね」
「・・・」
なんて失礼なことを・・お兄ちゃん。
暴言を吐く兄の姿が容易に想像できて、私は穴があったら入りたい気持ちになる。
身内の恥だわ・・。
「・・ごめんなさい、傷ついたでしょ?よりにもよって、気色悪いだなんて・・」
「いえ、その逆です」
「はい?」
「面と向かって気色悪いと言われ、面白くなってしまいましてねぇ。彼だけは故意に敬語をやめるよう、努力したんですよ。新鮮な試みでした」
つまり・・要さんの中で、お兄ちゃんは完璧に珍獣扱いで、飼いならすため、手数を変えただけ、と。
我が兄ながら扱いに同情したのは一瞬で、すぐに自業自得だと思った。
「まぁ、鏡の言ったことはともかく・・しずちゃんはどう感じました?」
「え?」
「やはり・・変だと思われますか?」
眼鏡の奥の瞳が、翳りを見せる。
要さんの言葉を反復して考えてみた。
そりゃ、村上さんに言われたみたいな不安はあったけど、彼の言葉遣いや物腰が変だと思ったことはない。
「別に、変じゃないと思いますよ?」
むしろ、ドキドキすることの方が圧倒的に多い気がした。
「しずちゃんは・・好きですか?」
「ええ、紳士的で良いと・・」
「良いとかではなく、好きかどうかを訊いてるんです」
お風呂上がりのまだ水気の残る髪がなんだか艶っぽく、妙に色気のある視線が私を捕らえ、不必要に胸が高鳴る。
「・・好き、ですよ?」
「そうですか」
ふわりと微笑む彼。
コトンと、手に持っていたグラスをテーブルに置き、姿勢を正す。
なんだろう?と見つめる顔が、どんどん近づいて──。
「でしたら・・そろそろ、貸しを返して頂きたいのですが。そちらの方はいかがです?」
覗き込まれ、腰に腕が回された。
至極近い距離にある端正な顔と緩い抱擁に動揺しつつも、私と要さんは恋人になったんだ、という現実を思えば、振りほどくことは無粋で、熱く火照る頬を押さえながら受け入れる。
「そ、そういえば・・お風呂で倒れたときに誤解したお詫びのアレですよね?」
「ええ。念のためにお訊きしますが、なんのことか分かってます?」
確か・・万全な状態になって、痛みに耐えうる感情を要さんに対して抱いたら、確かな形で返してもらう。と。
え・・もしかしてそれって・・あぁっ!!
彼の求めるものがなんなのか、ここへ来て、ようやく理解した。
「・・・」
「分かったみたいですね」
一気に体温が上がり、頬どころか身体全体が熱を帯びる。
ていうか、利子がキスって時点で気づくでしょうが・・。
「私って・・鈍いですね・・」
「そんなきみも好きですけどね」
「うー・・」
「それで・・答えは?」
「あの・・今から・・?」
急展開に、気後れた感情が往生際の悪い抵抗を試みた。
「──今から。もちろん、無理強いする気はありませんが・・僕としてはかなり、限界ですよ?」
困ったように薄く微笑む。
うぅ・・そんな表情されたら、断れるものも断れないじゃない。
なにより、要さんに触れられることは、嫌じゃなかった。好きという感情が、触れ合うことを嬉しいと認識する。
そういう感覚があって、なお、気後れてしまうのは、未体験の領域に足を踏み入れることへの怖れと、私の全てを知ることで、彼が幻滅してしまうかもしてないという畏れ。
嫌われたくない・・。
「しずちゃん、頭で考えては駄目ですよ」
「え?」
「僕らがこれからしようとしていることは、理屈ではなく、愛しいと想う気持ちが感情的な本能として求める必然です。全てを知り合うことで、幻滅されてしまうかもしれないという畏れは・・僕にもあります」
「・・要さんもこわいんですか?」
「ええ。ですがそれ以上に・・僕はきみが欲しい。しずちゃんの全てが知りたい」
大好きな人にここまで言われて拒む術なんて、私にはない。
覚悟は──決まった。
「要さんには、もう、裸も見られてしまいましたしね。責任取ってくれないと・・いいですよ、私を貰って下さい」
「遠慮なく・・戴きます」
心からの笑顔を浮かべ冗談混じりに言うと、彼はとても嬉しそうに、そして、少しだけ照れた表情で私の額に軽く口づけ、おもむろに身体を抱え上げる。
いわゆる、お姫様抱っこ・・。
わわっ・・もの凄く恥ずかしい。
けど、それ以上に恥ずかしいことをするのよね?・・うぅ・・緊張してきた。
自然に強張ってしまう身体。要さんの歩みが止まる。
「・・月並みですけど・・」
「?」
「なるべく、優しくしますから・・僕を信じて下さい」
「・・うん、信じます」
自分で考えていた以上、彼が思う以上に、私は要さんが好きなのかもしれない。
暖かい微笑み、真摯な眼差し、そして・・丁寧な物腰し。
そのどれもが、私を虜にする。
お兄ちゃんが元気になったら・・報告すべき、よね?
もう一波乱も二波乱もありそうだけど、二人なら乗り越えられるはず!
【アクシデント-終-】