10. ラスト・チャンス

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  替え玉騒動から、二ヶ月が経った。


 私は今、本来の性別、本来の名前・椋本翼で、女子校に通い、女子寮で生活している。
 そして、弟の翔は無事に退院した後、私と入れ替わって男子校に通い、男子寮で生活している・・だろう。
 断言できないのは、あの日以来、ほぼ、弟と顔を合せることはおろか、携帯でメールすらし合っていないからだ。
 翔に連絡を取れば、同室である空夜に気づかれ、こちらが望まなくてもあの手この手で接触を試みてくるに違いない。
 実際、私が寮を去った後、何度も空夜から携帯に連絡が入った。メールも沢山届いて・・けれど、私はそのどれにも応じず、挙げ句、携帯自体を変えてしまった。
 当然、家にも戻っていない。
 そう、私は徹底して、彼を避けていたのだ。逢わない時間が長くなり、ほとぼりが冷めれば、きっと空夜も諦め、私への興味を無くすだろう、と。
 もし、付き合うことになっていたら、この距離は二人の仲をもどかしくするだけの邪魔な壁でしかないのに、こうして逃げ回るのには、とても優秀な防御壁となる。
 一方の私はといえば・・興味を無くすどころか、ますます、彼への想いが募り、とてもではないが忘れられそうになかった。


「元気だと・・いいな・・」
「例の彼が気になる?」


 授業が終わり、寮へと向かう帰り道。心の内で呟いたつもりが・・声となって出てしまっていて、私の隣を歩く、私より背の高い黒髪の彼女を、苦い顔で見上げる。


「真央ちん・・」
「ふっふっふー。傷心な乙女の表情はそそりますなぁ」


 からかいを含んだそれに、私は更に苦く眉を顰め、少し嗜める意味も込めて睨んだ。
 彼女は本条寺真央(ほんじょうじまお)。私の中学からの友達で、女子寮では同室の寮生でもある。真央ちんは素知らぬ表情で、なおも言う。

「そんな気になるんなら、逢いにいけばいいのにさ。黙って別れちゃったこと、後悔してんなら、謝って、元の鞘に戻ればぁ?」
「・・出来るわけないじゃん。なんか・・意地が悪いよ。真央ちん」
「あぁら、あたしにひとっことの相談もせず、連絡もよこさなかった人が、なぁに言ってんのかなぁ!?」
「う・・だから、それはゴメンって。もぅ、いい加減、許してよぉ・・真央さぁん」


 その点だけは、本当に申し訳ないと思い、何度も何度も頭を下げた。
 ジッと私の顔を見つめていた切れ長の目が、フッと柔らかく微笑む。


「ま、小動物苛めはこれくらいにしときますかな」
「しょ、小動物!?ちょ・・真央ちん!?」
「──んなことより、噂、聞いた?」


 んなことって・・軽く流された!酷っ!!
 ジト目になりながら、首を横に振る。


「あら・・知らないんだ?そっか、知らないか・・そうだよね。知ってたら、落ち着いてなんていられないよねぇ」


 だから・・なんですか、その意地の悪い言い方は。
 やっぱり、真央ちん、まだ私のこと許してないんでしょ。まだまだ苛めるつもりでしょ。厄介な相手の機嫌を損ねてしまった現実に、私は頭を抱えた。
 どうやってこの子のご機嫌を回復しよう・・?
 無意識に歩みを止め、押し黙って考える。
 と、不意に腕を掴まれ、グッと引かれた。驚いて見上げると、そこには──。


「か・・甲斐谷先輩!?」


 今時珍しく染め上げていない黒髪をした、威圧感ある落ち着いた風体の男子生徒がいた。
 断っておくが、私が今居るのは、女子校だ。右を見ても左を見ても、女子ばかり。女だらけの空間、女しか立ち入られない場所に、なぜ先輩が・・?


「・・椋本?」


 ハッ!というか、私、今は“翼”だったんだ。なんで、先輩がここに居るのかは解らないけど、私が替え玉してたことなんて知るはずもないし・・。
 そうよ。翔に似てたから、びっくりして引き止めたってところかな・・?


「あの・・」
「・・見つけた。話がしたい。そこのきみ、この子、少し借りてもいいか?」
「あー・・はいはい。どーぞどーぞ」
「真央ちん!」
「ありがとう。──行くぞ、椋本」


 本人は了承していないというのに、腕を取られたまま、半ば強引に学校へと引き返し・・辿り着いたのは事務室。


「すみませんが、奥の部屋お借りします」
「甲斐谷くん?はいはい、どーぞどーぞ」


 私たちを見止めた事務員さんは、真央ちんと全く同じ言葉で了承し・・ってか、ここ、女子校よね?なんで男子の甲斐谷先輩が・・男子校の生徒会長が顔パス?
 疑問符がいっぱいながらも、先輩に促され、彼の対面に腰を落ち着けた。二ヶ月ぶりにみる顔は殆ど変わりなく、元気そうだ。
 お互い、言葉なくジッと見つめていたが、少しの間を置き、おもむろに先輩は言った。


「ふむ・・こうやって見ると、やはり女の子だな。制服一つで、よくバレなかったものだ」
「あ、あの・・私・・」
「きみが弟の替え玉をしていたことは、知っている」
「は!?」


 先輩の爆弾発言に、私は飛び上がらんばかりに驚いた。え・・知ってるって・・バレてたってこと?一体、いつ・・。


「いや・・正確には、知らされていたと言うべきか・・俺の父が、きみのお母さんと・・その、懇意にしていてね。フォローをと、頼まれたんだ」
「つまり・・初めて声を掛けた時には、すでに知っていたと?」
「そういうことだ」


 それが本当なら、先輩も相当な役者だ。私、全然気がつかなかったよ・・。


「まぁ、学年も違うし、フォローというほどのことはしてやれなかったが。その分、空夜が傍にいたから、大丈夫だと踏んだんだが・・それはそれで、少々、問題があったようだな」


 その単語を耳にした瞬間、ビクッと肩が震える。
 ギュッと拳を握り、恐る恐る訊ねた。


「先輩・・翔、は・・元気でやってますか?」


 暗にすり替えた名称を、先輩はしっかり脳内変換してくれたようで、彼の現状を雄弁に語ってくれる。


「・・入れ替え当初はかなり荒れていたぞ。『翼が居なくなった、連絡が取れない』とな。今は少し落ち着いた。表面上は、だが」
「そうですか・・」
「どうやら、そっちも気になっているようだな。連絡取ってみたらどうだ?」


 何気ない風に提案され、首を振る。
 今更、そんなことできない・・私は覚悟を決めて、あの日を最後にしたのだ。


「それは・・無理です。・・なにより、男子校と女子校。男子寮と女子寮とじゃ、距離がありすぎる」
「そんなもの些細だろう?世の中にはもっと遠距離で付き合っている男女もいる。大事なのはお互いの気持ちだと・・それとも、きみにはもぅ、彼を想う気持ちがないということか?」
「っ!・・気持ちがあるからこそっ!・・たまに逢うだけじゃ、もぅ、満足できないんです。・・私たちは、長く傍に居過ぎたんですよ・・」


 じわりと眼の縁に涙が盛り上がる。空夜のことを考えるだけで、胸が苦しくなる。まだ、こんなにも彼を想っている。
 けれど、気持ちだけではどうにもならない現実がある。


「きみは、まだ彼のことが・・」
「・・・・・好きです。大好き、なんです・・だから、この距離が辛い。常に一緒に居られないなら、離れていた方が・・楽です」
「・・そうか・・」


 理不尽に不可解な部分の多い私の訴えに、けれど、先輩は納得してくれたのか、小さく頷き、押し黙った。
 感情が昂り、つい思いのままを打ち明けてしまったけど、はっきり言って、第三者である先輩にしたら傍迷惑な愚痴だったろう。
 おまけに、相手こそ違えど、おもいっきり色濃い告白してるし・・恥ずかしい。


「と、とにかく、彼のことはもぅ吹っ切りますんで!それより、なぜ、甲斐谷先輩はここに?」
「ん?ああ・・ちょっと野暮用で、ね」
「野暮用、ですか・・?それは、一体・・」
「──椋本、すまんがそろそろ戻らないと・・引き止めて悪かった。逢えて良かったよ」


 自分の腕時計を見、先輩が急かすみたいに立ち上がる。


「はぁ・・いえ、こちらこそ。あの・・弟に逢ったら、こっちは大丈夫だって伝えて貰えませんか?色々あって、携帯も変えちゃったので連絡が・・」


 それに倣い、慌てて立ち上がりながら、今度は言葉そのままの意味でお願いした。
 意図を汲み、任せろとばかりに大きく頷く甲斐谷先輩。
 取る物も取り敢えず事務室を出て、急ぎ足で去る高い背が一度、私を振り向き──。


「また逢おう、椋本」
「・・さようなら、甲斐谷先輩」


 『また』か・・次に逢うのはいつになるだろう。必然でもない限り、逢う機会などありそうもないけど・・。
 しかし、皮肉にも、私はすぐその機会に恵まれることになる。


 

 更に一ヶ月経った後、真央ちんの言っていた“噂”がその機会となり、必然として私の身に降り掛かったのだった。


「・・ありえない・・嘘だ。こんなこと・・ありえない・・ありえない・・」


 張り出された新たなクラス表を前に、私はひたすらに同じ言葉を繰り返し、狼狽える。
 と、背後からたおやかな両手がにゅっと伸びて、ふわりと花の香りを巻き散らしながら、私の腰を抱く。


「あぁら、あたしと同じクラスになったのが、そんな奇跡的に喜ばしいこと?光栄だなぁ、椋本翼ちゃん」
「しーっ!真央ちん・・大きな声で名前呼ばないでよ」
「あーあー、騒がしくてよく聞こえなーい。なにかなぁ?ツ・バ・サ・ちゃぁぁんっ」


 真新しいペンキの匂いがする校舎。
 男女入り乱れた廊下で、それでも真央ちゃんの澄んだ声は数人の興味を惹く。


「翼ーーーっ!」


 そんな中、更に大声で名前を呼ばれ、意気揚々近づいて来る顔に、私は本気で殺意が沸いた。
 心中を察することなく目の前に立った彼は、真央ちゃんの腕をやんわり解きほぐすと、自分こそがと私を抱きしめる。


「はぁ・・ホント、元気そうで良かった・・。甲斐谷先輩に聞いてたけどさ、ちゃんと自分の目で見るまでは、安心できなくって」
「・・翔。久しぶり・・」


 私と瓜二つの顔がニコニコと、安心した笑みを満面に浮かべた。
 双子ということもあり、一気に周りの人の注目が集まる。あああ・・目立ちたくないのに・・翔が居るってことは、つまり──だもん。
  
「しっかし、まさか合併とはなー。ただの噂じゃなかったんだな」
「だいぶ前から持ち上がってた話らしいけどね。男子校の生徒会長が意欲的に動いてくれたおかげで、ようやく実現したとか・・つか、翼から離れなよ。シスコン」
「男子校と女子校の間にあった大学が経営不振とかで、支援と教育の幅を広げる目的で、三校合併の大学付属になったんだっけ・・つか、うるさいな。僕に指図すんな、魔女」


 丁寧なご説明をどうも・・甲斐谷先輩がなぜ、女子校で顔パスだったのか。その謎は解けた。
 彼の頑張りで男女共学となってしまったことは、正直、ありがた迷惑だ・・両者間で揉みくちゃにされながら、私は別の件で頭を抱える。
 新たなクラスメイトとして名を連ねていたのは、親友の真央ちん、弟の翔だけではなく・・今、私が最も顔を合せ辛い彼の名も記されていた。
 意図的なものを感じてならない・・甲斐谷先輩め・・。
 どうしよう・・考えても、出るのは溜息ばかり。
 いい加減疲れ切って、私は考えることを放棄した。なるようにしかならない・・それに、あんな形で逃げ去り、一切の連絡を絶って、一方的に別れたのだ。
 彼が同じ気持ちで居てくれる可能性は、奇跡的な数値だろう。呆れ果て、嫌われてしまっている確率の方が、ずっと高い。
 そうだ・・見知らぬ他人として、素知らぬ風に振る舞えばいいんだ・・。


「それはそうと・・翼、空夜見なかった?先に来てるはずなんだけど」
「・・さ、さぁ?・・ごめん、私、ちょっとトイレ行って来る」
「んじゃ、あたしも・・」


 連れ立ってついて来そうな彼女を、私は慌てて押し止める。


「いや、混んでそうだし、真央ちんは翔と先に教室行っててよ。鞄だけお願い」
「えー・・シスコンとぉ?」
「だから、シスコン言うなって、この魔女」
「そっちこそ!あたしの名前は真央。まーお!だいたい、シスコンはシスコンじゃん。それとも・・ナルシストって言おうか?自分とそっくりの顔した翼大好きなんてさ、ナルシストだよねぇ」
「な、ナルシストぉ!?か、勝手なこと言うなよ!僕と翼は全然違うだろ!?」


 二人の言い合いは今に始まったことではなく、それが微妙なラインながら、顔を合せる度の日常茶飯事的軽口であることを知っている私は、苦笑しつつも、こっそりその場から離れた。
 こういう時の逃げ場と行ったら、あそこしかない。賑わう廊下を擦り抜け、小走りに階段を登る。


「あっ・・!」


 トン、と、すれ違い様、肩がぶつかり、倒れ込みそうになったのを、素早く伸びた手に捕まれ・・あれ?
 妙な既視感を覚え、呆然としてしまう。


「大丈夫?」


 案じる声が掛かり、慌てて、頭を下げた。


「ご、ごめんなさい!」
「・・いや」
「あの・・有り難うございました。それじゃ・・」


 深々と頭を下げながら、より濃い既視感に襲われ、頭を捻る。
 
「『それじゃ、急いでますので・・本当に、有り難う!』・・初めて遭うたとき、そう言って、顔も見ずに去って行ったなぁ?」


 この独特のイントネーション・・なにより、この声・・。
 それじゃ、病院で助けてくれたのは・・彼も甲斐谷先輩と同じく、最初から私が“翼”であることを知っていたということ?軽くパニックに陥る。


「顔、見てくれへんの?恩人やろ、おれ。それとも、おれが誰か、忘れてもうた?」


 忘れるはずない・・忘れられるはずがない。
 顔を見なくても、それが誰かなんて声だけでわかる。だからこそ、上げられないよ。


「つーばーさー?頭、上げて。顔、見てぇや」
「・・やだ」
「くくっ・・相変わらず、強情やねぇ。ほなら、実力行使や」


 言うが早いか、私を軽々と抱き上げ、屋上へと続く階段を登ってゆく。


「ちょっ・・!」
「大人しくしときよ?翼には、訊きたいこと、言いたいこと、いっぱいあんねん。もぅ、これがラストチャンスやってぐらい、腰据えてみっちり話す気満々やから、観念せぃ」


 固い決意を込めての宣言は、どれも私にとって、決して喜べる状況ではないのだけど・・抱く腕、声、眼差し、そのどれもが優しく、別れた時と変わらない想いを感じた。
 彼がまだ、同じ気持ちを持ってくれている事実・・自分の内側から溢れる想いを、もぅ抑えることはできない。


「空夜・・す、き・・」


 震える声で囁き、首に手を回して抱きしめる。


「・・私、やっぱり空夜が好き・・すごく、すごく・・大好きだよ」
「つば、さ・・」
「私を・・彼女にしてくれる?」


 あの夜、言えなかった言葉を思い切って口にした。


「・・言うたやろ?おれ、翼に一目惚れしたんやって」


 やんわり身を剥がし、ひたと見つめる瞳が嬉し気に笑う。
 答えは・・わかっていた。

「病院で助けた時から、そのつもりやったわ」


 二人の距離が一気に縮まる。
 奇跡的に屋上には人影がなく、私たちは三ヶ月の溝を埋めるみたいに思う存分口づけし合った。


 学校が生まれ変わったこの日、私と空夜の関係も新たなものとして、スタートしたのだった。



 【ブレンド-終-】

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