05. 今日は離れてやらない
波乱の顔合わせタイムが終わり、疲れ切った足取りで自室へ辿り着くと、すでに空夜も戻って来ていた。
私の気配に気づき、顔を上げる。
「あ・・おかえり、翔」
「ただいま、空・・夜!?」
視線の先にあるものを見て、私の語尾は跳ね上がった。
ずかずかと部屋の中を闊歩し、彼の手にあるブツを取り上げる。
「ちょ・・な、なに見てんの!」
「ええやんか、減るもんやないし。ちゅうか、ソックリやな・・翔くん、双子やったんやね?」
「っ・・あ・・う、うん・・」
空夜が見ていたのは、私と弟のツーショット写真だ。お守り代わりに持って来たそれには、本物の翔と、女の格好をした髪の長い私が写っている。
こうやって見ると、私も捨てたもんじゃないよなぁ?
思わず、第三者の──男の目になって己の姿を見つめ、ハッとなる。
あぁ・・何が悲しくって男の立場から自分を褒めてんだか・・、感化されてしまった思考に、顔を歪んだ。
「んで、これは妹さん?」
「・・いや、一応、姉。先に生まれたから・・って、ジロジロ見るなっ・・あっ!」
「ほー、姉ちゃんか」
凝りもせず、ひょっこり覗き込んできた上、写真を取り上げた空夜は私の手の届かない頭上にそれを掲げ、しげしげと眺めた。
私と翔はお互い、本当によく似ている。パッと見で見分けられる人は、ほぼいないだろう。
それでも・・なんていうか、男の姿をしている今、女の自分を見られるのは、どこか気恥ずかしかった。
「・・名前、なんて言うのん?」
「そ、そんなん・・どうだっていいだろ。か、返せってば!」
「んー・・教えてくれたら、返してやってもええよー」
くっ・・このぉ。人の足下見て!
懸命に手を伸ばし、奪い返そうと試みるものの、私の手は虚しく空を切るばかり。
そうこうしている間にも、空夜はジッと穴が空くのではないかと思うほどに写真を見つめ続け、ついには、私とその写真とを交互に見比べ始める。
「・・翔くんが髪長うして、スカート履いたら、きっとこんな感じなんやろな。んで、この娘が髪短うして、ズボン履いたら──」
「っ・・翼っ!」
「つばさ?」
「そう。わた・・姉の名前は、翼だよ・・」
「ほー、翼ちゃんか。・・うん、ええ名前や」
「・・どうも・・てか、これで満足したでしょ?返してよ!」
少しだけ掲げられた腕の高度が下がったのを見計らい、ジャンプして彼の手から写真をむしり取った・・はずが、またもや空を切る結果で終わってしまう。
人の悪い所行に、私の堪忍袋の緒はキレた。
「空夜!いい加減に・・」
「なぁ・・これ、くれへん?」
「は・・ぁ!?」
「ええやん。姉ちゃんとの写真やなんて、実家帰ればいっぱいあるんやろ。この写真、おれに頂戴?」
ニッコリ笑顔で強請る空夜の意図が、全く読めない。
なぜ、他人である姉弟の写真などが欲しいというのか・・。
「ほら、男子校やなんて、潤いあらへんやろ?目の保養に、な」
潤い・・どういう意味だろ。
仲睦まじい姉弟の様は、そんなにも心温まるものなのだろうか。
でも、やっぱり・・。
「──駄目。それはここに居る間の僕のお守りだから、上げられない。返してください」
一ヶ月とはいえ、決して知られてはならない秘密を持ち、男として演技し続けることは精神的に相当な負担だ。
それも弟の将来のためだと思うからこそ、頑張れる。
確かに空夜の言うように、家に帰れば写真はいっぱいあるけれど、今、ここにあるのはこの一枚だけ。くじけそうになった時の心の支えを、そう簡単には失えない。
真剣さが伝わったのか、掲げていた彼の腕が私の手の届く距離にまで降り、写真を差し出される。
「そない大事にしとるなら、仕方あらへんな。諦めるわ」
「うん、ありがと」
「──ただし」
「ん?」
「ほなら、翼ちゃんのこと、もっと詳しく教えて?」
お互いの手が写真を掴んだ状態で、空夜が付け加えた。
私のことを詳しくって・・。
「・・な、なんで?」
「無粋やね、そんなん、決まってるやないか」
戸惑う私に、彼は少し悪戯っぽく目を細め、言った。
「おれ、翼ちゃんが気に入ってん」
「え・・そ、それって、もしかして・・」
「うん、一目惚れした」
女の身で聞いたなら少しは嬉しいその告白は、今の私にとって、新たな弊害になりうる厄介な要素でしかない。
替え玉作戦は当初の予想を遥かに超え、難易度の高いものになりそうだ。
頭が痛い・・私、無事にやり遂げられるか自信無いよ、翔・・。
思わず、当人である弟に弱音を吐いた瞬間、胸ポケットの中の携帯が鳴った。半ば強引に写真を取り戻し、意気消沈気味にノロノロと携帯を取り出す。
「・・はい、椋本ですが・・」
『翼?僕だけど・・無事!?今、母さんから事情聞いて──』
「っ・・かけ・・!」
切羽詰まった聞き覚えのある声、なにより、そのヤバい呼び方に慌てて電話口をギュッと抑えた。
恐る恐る彼を伺い見、顔が引き攣る。ものすごい近い距離にある顔が、疑わし気な視線を私に向けていた。
「な、なに?」
「翼ちゃんの名前聞こえた気するんやけど・・誰?」
ちっ・・人の電話を盗み聞きするもんじゃないわよ。
『え・・男?まさか・・寮って個室じゃないの?』
「なぁ、電話、誰からなん?男みたいやけど・・」
『どういうことさ!そんなの・・危険過ぎだろっ。ナニ考えてんの!?』
「なぁ、誰?なぁ・・なぁて」
あーもぅ・・。
矢継ぎ早に両方から問いつめられ、私の我慢は限界に達する。
「うっさい!いっぺんにゴチャゴチャ言われても、こっちは一人なの!!順番に答えるから、少し待ちなさいっ!!!」
鋭い一喝に制され、男たちは沈黙した。
そうよ。聖人君子じゃあるまいし、いっぺんに両方を相手になんかできないっつーの。
「空夜。相手は・・昔馴染みの親友からだよ。電話代掛かるから、まず先にこっち処理する。いいよね?」
「・・おぅ」
「あ、盗み聞きなんて質の悪い真似したら、友達辞めるから。つか、プライバシー侵害で訴える!ってことで、聞こえない距離まで、はい、下がって下がって」
「・・解った。大人しゅうしとったらええんやろ・・」
「うんうん、大人しゅうしとってください」
面食らって押し黙ってる彼を軽く睨んで牽制し、私はそう言い渡して距離を取った。
視線を外さないまま、再び、電話口に話しかける。
「もしもし?かけ──あんた、大丈夫なの?怪我の具合は?」
『怪我は・・まぁ、骨折ってるわけだし、すぐに治るはずもないけど。って、僕のことはどうでもいいんだよ。翼、なんで替え玉なんて・・そこがどういうとこか解ってんの?』
「・・解ってるよ。男子校でしょ」
『そう!男子校!!男しかいないんだよ!?僕に成り済まして飛び込むなんて、無謀過ぎ!バレたらどうするの?どんな目に遭うか・・助けなんて期待できないだろ!今すぐ、家に帰れ!!』
「翔・・」
弟の言葉全ては的を射ていて、現実に起こりうる畏れのある危険。
けど、ここで逃げ帰ったら、全ては水の泡。
「でも、そんなことしたら、入学取消されちゃうよ。折角、こんないいとこに推薦で入れたってのに、勿体ない。入りたかったんでしょ?すっごい、喜んでたじゃん」
『それは・・けど・・翼だって学校あるのに・・初っぱな休んでたら、後々大変になるだろ?なにより・・僕のせいで翼を危険な目に遭わせるの、嫌だ・・』
私の身を案じる気遣いと、申し訳なさが滲んだそれに、顔が綻ぶ。
双子なせいもあって、翔と私はとても仲がいい。お互いを想い合う姉弟としての絆は、濃い血の繋がりを感じる。
だからこそ、ここは退けない。
「私だって、翔が学校通えないなんて嫌だよ。だから、力になれることはなりたい。一ヶ月の辛抱だし、大丈夫だよ」
『翼・・』
「それにさ、私、結構、演技うまいかも。早速、先輩方に気に入られちゃったよ。あと、学校には変わりないから、勉強面で出遅れることないし・・うん。思ったほど、深刻な問題じゃないわ」
努めて明るく言い、弟の不安要素を取り除いてゆくと同時に、自分にも言い聞かせる。
うん、大丈夫。大丈夫だよね。
「翔は身体を治すことだけ考えな。ね?早く治れば、私の替え玉期間も短くなるんだから、心配なら死ぬ気で治しなさい」
『・・・・・・・・・・わかった』
長い長い沈黙の後、ようやく、翔は折れた。
『でも・・無理すんなよな?』
「うん、ありがと」
『また連絡するから』
「あー・・できれば、メールにして。電話だと・・ちょい同室の子が厄介。あと名前も別のに・・翼って呼ばないでね」
一定の距離を保っていた空夜が痺れを切らしたのか、仕切りに電話を切れとジェスチャーしてくる。
これ以上長引けば、言いつけを無視して傍に寄り、聞き耳を立てそうな勢いだ。ごく身時かな危険分子から秘密を護るためにも、電話は戴けない。
『・・わかった。そいつ、くれぐれも気をつけろよ』
「はいはい。それじゃ、切るね。お大事に」
名残惜しく思いながらも、私は電話を切った。
はぁ・・とりあえず、身内の問題は片付いたとして・・。
「話、終わったみたいやね?ほな、今度はおれの番や。翼ちゃんのこと、色々教えて?」
不敵に笑む表情に、翔以上の手強さを感じ、溜息が出た。
彼が知りたがっているのが・・女としての私のことだなんて、話し難いに決まってる。
なんとかうまく誤摩化して、話を反らせないものだろうか・・興味を削ぐ手段がないものか・・打開策を考えてみるものの、良い案は浮かばない。
色々って・・言いたくない、で、大人しく引き下がってはくれないよね。どうすっかなぁ・・。
ちらりと時計に目をやれば、もうすぐ七時。夕食の時間。
「と、とりあえず・・そろそろ夕食だし、話は食べてからってことで。食堂行こうよ、空夜」
「ん・・そういや、腹減ったなぁ。喰いっぱぐれるのんもあれやし、まずは腹ごなししよか」
ごく単純にしてシンプルな誘い文句に、驚くほどあっさり、目の前の男が乗ってくれる。
空夜って・・案外簡単かも・・?
良い意味で裏切られた自分の読みに、ホッとしたのも束の間。
「腹いっぱいになったら、とことんおれと翼ちゃんトークやね。ちゃんと全部の質問に答え終わらへん限り、今日は離れてやらへんからそのつもりで」
より一層の不敵さを滲ませた彼は、力強く私の肩を掴み、ニッコリと笑ったのだった。
恋する乙女のパワーも相当なものだけど、一目惚れした男の執着はそれ以上だということを、私は思い知ることになる。
夕食後、部屋に戻り帰って早々、宣言通り、質問攻めに合い・・眠気に襲われながらも誤摩化し誤摩化し答えて・・答えて・・いつの間にか、私は眠ってしまった。
「・・なっ・・」
目覚めて、自分の身の様を目の当たりに、絶句してしまう。
なにがどうしてそうなったのかはわからないけれど、胸を押しつぶしていたサラシが解かれていて、本来備え持った女性特有の膨らみを枕に、空夜が私の上で寝ていた。